2016年7月の旅 新潟・長野県
2016年7月19日
小林秀治

7月16日(土)

夏の新潟の海は静かだ

[日和山浜の釣り堤防]

 午前4時に南大沢の自宅をNボックスで出発。雨は降っていない。あきる野インターから関越道で新潟へ向かう。高速道は夜中なので、順調。新潟中央インターを降りて、市役所前、護国神社前を通って海沿いの道路を新潟港の突端へ。記憶にある釣具屋に寄り、コマセなどを買う。いつも釣りをしている国の施設(新潟港湾・空港整備事務所)に入ろうとするが、ゲートは閉まっている。以前に来たときは、休日は空いていて、中に入れて、護岸から釣りができた。今回は、無理とあきらめ、来るときに見た海岸線から伸びた釣り桟橋に向かう。この釣り堤防は、以前に来たときはなかった。日和山浜の海釣り堤防である。300メートル位離れて並行して海に二本、海釣り堤防が突き出ている。家族連れや、常連のおじさんなどが既に釣りをしていた。天気は曇り。海風が気持ち良い。見ると、豆アジが釣れていた。予想よりも小さい。4センチくらいだから本当に豆アジだ。子サバも交じっている。

夏、新潟の堤防では小鰺が必ず釣れる

 早速、準備をして、仕掛けを入れる。コマセを振るとアジの小気味よい引きが伝わる。一匹小さいのがついている。何回かやるが、一匹、二匹で鈴なりとはいかない。隣の常連は、渓流竿にながめの仕掛けをつけて釣っている。鈴なりが何回かある。仕掛けが違うのか。どうも私の方が、針やハリスが大きいようだ。もっと大きいのを期待していたから小さい針とハリスは用意していなかった。このまま、釣るしかない。その後、子サバの襲来に遭う。食べてあまりおいしくないので、型のよいのを4匹だけクーラーに入れる。
1時間くらいして、アジを20匹位釣ったところで、コマセがなくなり竿をしまう。
 新潟港の下を通っているみなとトンネルを通り、実家に向かう。実家は新潟空港のそばである。空港は便数が少ないせいか、騒音には悩まされていない、地下水の湧く公園なども近くにあり、よいところである。実家は住宅街である。

骨折した実家の母は元気だった

 実家に着いたら、母が表に出ていた。ちょうど、買い物から帰ってきたところだったようである。1年ぶりの母は杖をついていた。来る前に聞いていたが、足を骨折してから杖をつくようになった。道で転んで大腿部の骨折をしたのだが、全面的に折れるのではなく、ひびが入ったのだが、治り早く、元のようになった。医者からは、治りが早く元のように歩けてびっくりされたようだ。老人が骨折をするとそのまま寝込む話はよく聞くが、そのようなことを念頭に、医者はびっくりしていたのだろうか。
 4歳違いの弟は今、失業中である。左腕の付け根の奥に悪性ではないが腫瘍ができ、手術をした。結局、左手の握力が戻らず、運送の仕事を辞めたのである。傷病手当はこの7月で終わり、収入はなくなる。
 彼の年金は、64歳から支給される。満額でも給料が安かったためか、年150万円くらいだ。無収入は、厳しいので、アルバイトでもしたほうがよいと話すが、本人は難しそうな反応。
 家が吹き付ける雨が降ると、南側が雨漏りするとの話し。外壁を見ると確かに、漆喰が剥げている。調査してもらってから、工事をするように言う。弟の手術や母の骨折などがあり、修理は後回しにされているようである。
 午後4時から、近くの日帰り温泉施設で入浴する。その後、海鮮料理の越後茶屋で、母、弟と3人で夕食を食べる。外食は久しぶりとのこと。母は以前から刺身など、生魚が食べれないので、てんぷら御膳を注文。弟とは、刺身などを食べる。弟はタバコを吸うが酒は一切飲まない。私だけが、ビールと日本酒を飲んだ。
 弟が酒を一切飲まないのは、運送の運転手を長年続けてきたからであろう。弟は、商業高校を卒業するとすぐに、田中角栄が関連するホテルに勤めた。しかし、給料など、労働条件が悪く、10年位して辞め、運送会社に入り、東京や関西などにも行っていた。帰ってくるのは、一週間に一度だけ。ここも給料面などの待遇が悪く、文句を言ったようだが、辞めた。運転手の職はあるようで、すぐに職が見つかり、そこで、病気になるまで勤めていた。最後の職場が、今まで比較して一番よかったようだ。
 その夜は、実家に泊り、夜の9時には眠りについた。

7月17日(日)

 朝、5時に起きる。既に母は、起きていた。眠れないのかと聞いたが、睡眠導入剤を混ぜた薬を飲んでいるので、眠れなくはない、この頃は、調子が良いのだそうだ。
 3週間位前には、心臓の発作が起きて病院に運ばれたという。それからの最近では調子が良いという。
 昨日釣ったコアジ等をから揚げにする。生魚が食べれない母が喜んで、から揚げのコアジを食べた。ゼンマイを煮物にする。
 午前9時に実家を出発。出る前に母と、弟の写真を撮る。

良寛の五合庵は、渓谷のある山の中
 [良寛が住んだ五合庵]

 国道8号線を燕市にある良寛由来の国上寺に向かう。後から気づいたのだが、父の墓参りをする予定だったが、すっかり忘れてしまった。予定表には記入していなかった。記入していないと還暦を過ぎるとすっかり忘れることが多くなった。
 国上寺は創建当時を思わせる古い造りのお寺だった。あたりは静寂に包まれて、観光客も少ない。
 拝観料は無料であった。国上寺から小路を少し下ると良寛が住んでいた五合庵がる。木陰が続く道から入ると陽がさす五合庵があった。六畳位の一部屋
の庵、ここで良寛が何年も暮らしたのかと思いをはせた。五合庵を後にして、吊り橋を渡り、寺の入口の駐車場に着いた。
 お昼すぎに寺泊水族博物館に着く。水族館の目の前は、日本海。夏の日本海は穏やかだ。冬は、荒くれる日本海がある、夏の海からは想像ができない。

愛嬌のあるウツボ
[寺泊水族館のウツボ]

 こじんまりした水族館であるが、愛嬌のあるウツボが目をひいたので、撮影。よく取れた。そのほか、ギンガメアジなど大きな魚が泳いでいた。
 水族館の入口左の堤防には、カモメがまじかに止まっていた。望遠で撮影するが、エサを狙う目は鋭い。人馴れしているのか逃げない。

錦鯉は突然変異だった

 寺泊水族館を後にし小千谷市の錦鯉の里に向かう。
 錦鯉をまとまって見るのは初めてである。錦鯉の里は色とりどりの錦鯉が泳いでいた。錦鯉は、元から色鮮やかではなかった。江戸時代、突然変異から、小千谷の人の努力で掛け合わせて作られたものだった。よく作ったものだと感心する。
 16時半に十日町に着く。十日町は、山の中の地方都市、落ち着いた感じがする。雪国らしく雪の季節はまた違った趣があるように思う。
 明日は、渓流釣りをすると決めている。釣具店を探すが、ナビの3件の店は既になくなっていた。駅周辺を探すがどこにもない。あたりが暗くなったので、探すのをあきらめる。釣具店は東京でもそうだが、廃業していることが多い。一時期より需要が少ないのだろうか。
 そこで、気分を変えて道の駅にある、十日町温泉・明石の湯に入浴する。500円と安いが、建物は、現代的で温泉入浴施設とは思えない。温泉は、無色透明だ。
 最初の車中泊である、道の駅・クロス10十日町で車を停める。トイレが近くでよい。

7月18日(月)

 朝、4時20分に道の駅・クロス10十日町を出発する。117号線を津南に向かう。そして、左の405号線に入る。山の奥へ奥へと向かう。これが国道かと思う位、道が狭い。が、舗装はされている。道の狭い国道は全国にいくらでもあるようだ。乗っているのは、横幅の狭い軽自動車なので、安心である。

中津川が二股に分かれるところに切明温泉
[秋山郷・見倉橋]

 ずっと奥の切明温泉まで行く。中津川が二股に分かれるところである。右に行く川が雑魚川だ。雑魚川だが、岩魚が住む川である。ここで、オニチョロなどの川虫を採取し、渓流釣りをするが、2時間位あたりがないので、場所を変えることにする。           
 来た道を117号線に向けて戻る。途中、秋山郷の見どころである、見倉橋を見学。駐車場から、下って歩いて10分ほどである。見倉橋の渓谷は、きれいな緑であった。橋の下までは20メートル位、深くはなく、恐怖感は湧いてこない。
 117号線に向かい、下っていると、川の方に下る道路があったので、降りてみる。下の橋(穴藤橋)を渡ると、川に降りられる場所があるので、橋のたもとに車を停めて、釣り支度をする。

オニチョロに第一投できれいなヤマメ

 ここは、中津川・東電第一発電所の下であった。オニチョロをつけて第一投。すぐにあたりがあり、15センチ位のきれいなヤマメを取り込む。やはり、魚がいるところはすぐにあたりがある。上でもそうであったが、水温は高いように思う。だからヤマメである。渓流魚の岩魚とヤマメは一つの川で上と下で住み分けている。岩魚が水温の低い上のほうにいる。
 結果、ヤマメ4匹であった。エサがあればもっと釣れたと思う。魚の引きを堪能できて満足であった。
 行く予定であった結東温泉露天風呂は、車で行けないようなので、あきらめ、今日の車中泊予定の道の駅・信越さかえに向かう。
 道の駅・信越さかえは以前にきたように思うが、いつ来たのか思い出せない。店は、定休日。他の車中泊の車もいない。しばらく休憩して、予定を変更して野沢温泉に向かうことにする。
 野沢温泉スパリーナに着いたのが、午後5時20分、20時半で閉店なので、たっぷりある。連休明けなので閑散としている。露天温泉は水着着用なので、入らない。内風呂は狭いが温泉は重い感じがしてよかった。
 ここの食堂で夕食として、チキンカレー(味はタイ風)を食べる。客は私の一人だけ。日帰り温泉としては閑古鳥が鳴いている。
 野沢温泉は、20代、30代の頃、冬にスキーで何回か訪れている。野沢温泉の冬の風景、雪がたっぷりあるスキー場は鮮明に覚えている。夏の野沢温泉は初めてだ。やはり、スキーが主で夏は、閑散としている。でも温泉目当てに客は来てないのだろうかと思って、街中をドライブするが客はちらほらだった。
 これから訪れる草津温泉とは客数で大きな違いがあるようだ。
 ガソリンがなくなってきたので、給油する。ここで、車中泊をしようと思うが、よさそうなところがなく、近くの道の駅がないか調べる。7キロ先に道の駅・花の駅千曲川があったので、そこに向かう。
 午後7時20分に道の駅・花の駅千曲川に着く。隣接するスーパーがあったので、買い物。
 道の駅・花の駅千曲川で車中泊。

7月19日(火)

 朝、5時に起きる。さわやか。見晴らしはよい。
 他にも数台の車中泊がいた。既に車の外にテーブルを出し、朝食の準備をしている者もいた。
私は、歯を磨いたら、すぐに、出発した。


カヤノ平高原は朝もやの中
[カヤノ平高原の放牧]

 天気は晴れ。暑くなりそうな気配。             
 117号線を木島平に向かい、403号線を走行。山の方に入る。カヤノ平高原に着く。キャンプ場があるらしく、テントが張ってあった。カメラを携えた旅人が二組いた。少し休憩し、牧場もあったので撮影。放牧の牛は、二、三頭、牧草を食べ動いていたが、他は、まだ、眠りについているようだった。朝もやの中、木々から朝陽がさしていた。
 奥志賀高原に向かう。道はよい。志賀高原を過ぎ横手山ドライブインで休憩。見晴らし良好。その後の走りでは、通り過ぎたのは、リフトなどの点検をし、手入れをしている夏のスキー場であった。
 292号線を草津白根に向かう。
 白根火山ロープウエイに着いたのは、午前9時頃、ロープウエイで山頂へ。

山の天気は変わりやすい
[白根火山のコマクサ]

 山の上は気温が低くなるので、長袖、長ズボンに着替える。山頂は、夏の暑さであったが、霧が出たりして刻々と山の天気は変わる。山頂からさらにリフトで上に上がる。コマクサの群生を見に行く。案内では、見ごろとあったためである。渓流歩きはするが、山歩きはあまりしないので、高山植物はあまり見たことがない。最近きれいな花があると、撮影することにしている。花には癒される。
 1.5キロ位山道を進むと視界が開けた下りのところに鮮やかな深いピンク色の小さなコマクサが群生していた。風が吹き、コマクサはまとまってゆらゆら揺れていた。

草津の湯は格別
[草津温泉の湯量は豊富]

 今回の旅の最終目的地である草津温泉に向かう。
 二時間500円の駐車場を見つけ、車を置き歩いて、草津温泉街に入る。まず、西の河原の露天風呂に入る。観光地だけあって外国人が多い。草津温泉は熱いので有名だが、ここは、うめてあるのか、ちょうどよい露天風呂である。温泉の質もよいように思う。小一時間、庇のあるところで湯につかる。日向の露天風呂は暑くて長く入っているのはつらい。露天風呂を出て、温泉街の中心に向かう。中心は、もちろん、湯畑。その湯量は他の温泉に比べ断然に多い。草津温泉は、昔
からあるので、街並みはそのままのようである。新しく建物を建てるにも、昔の風情を残しているように思う。
 草津温泉を後にして、道の駅・草津運動茶屋公園で昼食を取る。桜えびのかき揚げうどんをいただく。
 その後、145号線、406号線、46号線を走る。途中、夕暮れの塩沢ダムで休憩。426号線から299号線で秩父へ。
 道の駅・果樹公園あしがくぼに着いたのは、午後8時20分。帰りが近いので、車を洗った。
 299号線から53号線で名栗へ。軍畑から238号線で武蔵五日市、東京サマーランド前に出た。
 そこから、30分ほどで南大沢の自宅に着く。以上。