2016年8月 神戸・比叡山・小浜・敦賀の旅 | ||||||||||||||||||||||||||||||
小林秀治 | ||||||||||||||||||||||||||||||
7月29日、午後10時40分に自宅を出る。神戸を目指して圏央道に乗る。約500キロ長丁場である。 ノンストップで行けば5時間34分であるが、休憩しなければもたない。 新東名高速道に入り、SAで休憩しながら、神戸をめざす。夜の東名は、長距離トラックでいっぱいだ。挟まれないように走る。100キロ以内で走っているトラックもあるが、中には、猛スピードで後ろから迫ってくる。そんな時は、そうそうに走行車線に逃げることにしている。 新東名から伊勢湾岸自動車道を通り、東名阪自動車道、関JCTで高速道を降りる。 既に日付が変わり、30日となっていた。
25号線を通り、天理インターから西名阪高速に乗る。そこで、朝方の渋滞にあったので、降りて一般道43号線を神戸に向けて走る。 新幹線の新神戸駅が見えてきた。駅前の駐車場が空いていたので、駐車することにする。自治体学校の会場である神戸芸術センターは、徒歩5分であった。 午前10時についた。神戸は夏の晴天でまぶしく暑い。駅前の公園には、蝉の声があふれていた。 12時半に学校が始まった。歓迎行事は、太鼓と中華獅子舞であった。記念講演は、大阪市立大学名誉教授の加茂利男さんで「日本型人口減少社会と地域の再生、不安と混迷の時代をどういきるか」であった。講師は、安倍政治の暴走を止めようとする動きはいくつも出てきている。そうした中で、人口減少問題を抱えているが、地域の再生・自治と、平和で民主的な対話の政治を求めていくことが大事。」と語られた。また、アメリカだけが大きく人口がこれからも増えることに異様さを感じた。なぜ増えているのかというと移民のせいである。移民の出生率は格段に高いのだそうだ。
外は、蒸し暑いが、チェックイン後、電車で明石へ向かった。駅のすぐ北が明石城公園であった。もうすでに6時半を過ぎて薄暗くなっていた。今日は、土曜日とあり、散策の人がたくさん出ていた。若い人も多い。天守閣はない、城壁の上まで登る。そこから明石駅が遠くに見える。7時だが、まだ明るい。明石城公園を出ようとしたところ、なんでこんなに人が多いのかとふと思った。他の公園では、土曜日でもこんなに人が多くなかった。そこで、あることに気が付いた。ほとんどの人がスマホを手に持って歩いている。「ポケモンゴー」をやっているのだとわかった。 やくみつるが、ポケンモンゴーをやる人の気がしれないと言っていたが、うなづける。 明石はタコと鯛が有名
客がいない。カウンターに座る。明石名物のタコ、鯛を食べる。最後は、鯛茶漬け。久しぶりに、お酒も飲んだ。ほろ酔い気分で外に出るが蒸し暑い。案内を見ていて、気づいた。ここは、子午線の町である。北緯135度線が通っている。暗くなっていたが、子午線の標柱を探し当て、確認し、写真に収める。 宿までの帰りは、案外近かったのと、一駅だが電車の本数が極端に少なかったので、タクシーを拾い宿まで帰った。 宿に帰ってからは、一風呂浴びて、一日目の疲れがでたのか、パソコンに写真を取り込んですぐに眠りについた。 31日(日) 午前6時半に起床。朝食を午前7時に食べて、7時20分には、宿を車で出発する。学習会の会場に行く前に明石港を見て、海岸公園に行く。午後8時近くになって陽ざしが強くなりまぶしい。目の前に大きな淡路島が見える。そこに渡る明石海峡大橋が伸びている。海と空と島と大橋と雄大な景色である。
学習会のテーマは、「脱原発と再生可能エネルギーの普及」である。この自治体学校は、毎年開かれ既に58回を数える。私は、30年間毎年通っている。福島第一原発の過酷事故以降、市民運動により司法も原発を止めることが多くなった。原発は、電力会社がもうからないと思えば撤退するはず、それまで、市民運動と司法の力で脱原発への道を進んでいくことを改めて学んだ。 そして、脱原発を進めるドイツのように政府の施策次第で再生可能エネルギーの大幅な普及はできることも展望があることも改めて分かった。 有馬の湯は赤い
土産物屋を見ながら、上に上っていく。上には、源泉の湧き出るところもあり、その源泉は炭酸泉ということで飲んでみたが、強い炭酸の味がした。 坂を上ってきたので、汗をかいた。近くに、銀の湯という日帰り温泉施設があったので、一風呂浴びる。下にある金の湯も一緒に入れる入湯券を買う。銀の湯は透明な温泉であった。 温泉を出て下に下ると、温泉寺があった。僧行基が724年 に建立したとされ、平安京ができる前のことである。 温泉寺からさらに下ると、金の湯がある。ここも日曜日と あって混んでいた。意外にザックを背負ったハイキング客が多い。この辺りは、ハイキングコースになっているのだろう。 さて、金の湯は、金色であった。実は、鉄分が多く赤茶色といったほうがよい。これが、昔からの有馬温泉の湯のようだ。源泉は、いくつかあるが熱く、約90度。金の湯にも熱い44度の風呂があったが、とても入れそうにないので42度に入る。数年前、新潟の鹿瀬にある赤湯に行ったことがあるが、とても熱くて入れなかったことを経験していたからだ。
神戸の元町、南京町に着いたときは、7時を回り、暗くなっていた。
南京町から高速を使い、明石へ。宿に着いたのは、21時だった。 8月1日(月) 比叡山は杉木立の中静寂の中に伽藍がたたずむ
西塔エリアは、大きな建物は一つで、釈迦堂が杉林の中にどっしりと建っていた。延暦寺の中で現存する最古の建築となっている。堂の右には直径1メートルはありそうな大きな杉の木があった。樹齢数百年だろうか、若い娘さんが、安産祈願なのか、しきりに幹を撫でていた。 次の横川は、静寂そのものであり、蝉の声だけである。奥に行くと蝉の声を薄れてくる。横川中堂の中は、撮影ができた。中には、小さな掌に乗る観世音菩薩像が1000体も収められてまばゆく壮観であった。横川中堂を出ると小さな仏像が目に入った。なんと平和地蔵菩薩であった。また、伽藍への参道を歩くと仏教などの解決立札が連なって立っている。読みながら進むと時の立つのが早い。
道の駅・びわ湖大橋米プラザで昼食を 取る。近江牛定食。肉の質はよいがボリュウームがいまいちであった。 道の駅そばの琵琶湖大橋を渡る。ここも有料だが100円と安い。 琵琶湖は海だ 湖岸を北に走る。しばらくして、松林が見え、駐車場が目に入ったので入る。 そこは、淡水浴場のようで、いくつかの子供連れの家族が泳いでいた。松林の中では、若い女4人組がバーべキュウセットを持ち込み、肉や野菜を焼き、甲羅干しをしていた。また、フィリピン人と思われる親子も甲羅干しと肉を焼いていた。 私は、彼らから少し離れて日陰の松林の中で昼寝をすることにした。風が通り、涼しいので、よく眠れる。 写真は、盗撮と間違われないように琵琶湖とその対岸を撮った。琵琶湖は大きい。今いる松林は、琵琶湖の南端の近くである。 夕方になり、雄琴の日帰り温泉に行くが、今日は、花火大会で午後7時まで入れないとのこと。夕方まだ暑いが、湖畔などを散歩する。午後7時半に日帰り温泉に入れてもらう。午後8時から花火が始まる。露天風呂の真上で花火が炸裂する。午後8時半まで上を見上げて花火を堪能し、温泉につかる。 その後、閉店の午前1時までリクライニングシートで眠る。 8月2日(火) 温泉施設を出て、また、道の駅に行き、ここで朝までする眠ることにする。ところが、午後1時過ぎにたたき起こされる。警察だ。夜回りだとのことだが、迷惑。起こされて目が覚めたので、午前3時に次の目的地に移動する。国道を北上に小浜に向かう。 小浜に着いたのは、午後4時半頃。夜が明けていた。朝の小浜港は、静かだった。港からすぐのまちの駅・旧旭座に車を置き、小浜市内の散策に出かける。朝が早いので、人通りはほとんどない。小浜の古い町並みを見ながら歩く。旧料亭酔月、三丁町などを歩く。気が付くとお寺が多い。
とにかく、小浜は落ち着いた雰囲気のある歴史のある街であった。7時半に若狭小浜魚センターで買い物をする。岩がきや小鯛、サバ焼きなど、小浜の名物を買う。 9時には、若狭フィッシャーマンズワーフから蘇洞門(そとも)観光船に乗った。海は穏やかで、筏に釣り人が多くいた。 大飯原発は要塞のよう
蘇洞門には、いろんな景色があるが、全体としては、海から見える波に削られた奇岩である。江戸時代からの絶景のようだ。今日は、海が静かなため、岩が波でくり抜かれている。 大門、小門と言われる場所に小さなはしけがあるので、そこに観光船を停泊させた。狭いがきように停めた。5分間、上陸し、海からしか上陸できないところに上がった気持ちは格別である。同じ乗船客に奥さんが外国人の家族連れがいた。夏休みだろうか、子供がはしゃいでいた。頼まれて家族写真を撮ってあげた。奥さんが常に写真を撮っていたが、私と同じキャノンの一眼レフを使っていた。
11時過ぎに、敦賀に向かって出発する。途中、景勝地のレインボーラインを通り、三方五胡を眺める。展望台からは全部が見えないが、海と切り離された湖が見える。 敦賀に着いたのは、12時40分であった。 気比の松原は、日本三大松原と言われるが、意外と狭いかなと感じた。ちなみに、三大松原は気比の松原のほかに、静岡の美保の松原、唐津の虹の松原である。 午後は、敦賀新港で堤防釣りをすることにしている。
港は、日が暮れようとしていた。19時15分、コンビニで氷を買ってクーラーに入れ、北陸自動車道敦賀インターに入る。米原JCT→名神高速道→関ヶ原→小牧→東名自動車道→豊田JCT→伊勢湾岸自動車道→豊田東JCT→新東名高速道に入る。事故渋滞にあったので、岡崎SAで車中泊をする。 すでに、3日(水)になっていた。朝6時に起きて、岡崎SAを出て南大沢に着いたのは、午前10時であった。家はいつもいる子どが不在で鍵が閉まっている。午後5時には帰るとのことなので、時間をつぶす。 |
||||||||||||||||||||||||||||||