2016年9月 宮城・岩手・秋田・山形の車旅(その1)
小林秀治
 今回は、車(ホンダの軽・Nボックス)での一人旅。着替え(寒くなることを予想して長袖は持っていく)、海・渓流釣り道具、キャンプ用道具(テントは不要、車中泊なので)、一眼レフカメラ、パソコン(常にメールチェックやネットが見れるように。撮った写真の整理)、クーラーボックス大と小、寝袋、コンパクトテーブル(パソコン作業用)などを車に積んで出かける。
 一人なので、車の中に全部積めて、十分、足を伸ばしての寝床は確保できる。
 16日の22時に八王子市南大沢の自宅を出発。あきる野インターから圏央道を通り、東北道に出る。夜なので順調。ただ、相変わらずトラックが多い。東名よりはずっと少ないが。

夜の走行は順調

[石巻・石ノ森章太郎萬画館]
 日付が変わり、17日になる。まだ運転中。2時間で休憩を取る。途中、安達太良のサービスエリアで仮眠し、さらに東北道を北上する。
 宮城県に入り、仙台南インターから海岸方面に向かう高速道路に入る。
 そして、6時に石巻河南インターの先で降りる。石巻は霧に包まれ視界が悪い。ここまでで軽自動車なのでETC料金5770円、距離429.6qであった。
 7時40分に牡鹿半島に入り、コバルトラインを走る。徐々に晴れてきて視界がよくなってきた。金華山を展望台から望む。金華山は島である。金華山の沖は黒潮と親潮がぶつかる世界三大漁場の一つである。
 9時に石巻に戻り、石ノ森萬画館を見学。建物は白く宇宙船のように丸い。ここは、震災後すぐに来たことがある。その時よりは、市内はがれきが片付きほとんど復旧しているようにみえる。石ノ森萬画館も津波の被害を受けていたが、復旧し営業をしている。家族連れなどがきていた。ご存じのとおり石ノ森章太郎といえば仮面ライダーだ。さまざまな仮面ライダーが展示されている。また、ここでしか見られない「シージェッター海斗 特別編」(実写版)を上映していた。他にアニメ龍神沼も上映されていた。
 国道398号線で女川を通りぬけ、海岸線を通り北上する。
 13時20分に南三陸町のモアイスポットに着く。仮設で商店ががんばっていた。そこにはイースター島のモアイ像が立っていた。南三陸町には他にもモアイのレプリカがいくつかあるようだ。商店では、土曜日ともあって観光客がきていた。うに・いくら丼など目を引くものがあったが、節約志向でイカなどの揚げ物を買ってお昼にする。
 食事は、できるだけ、地元のスーパーや道の駅で惣菜を買って食べることにしている。そのためにクーラーボックスを大と小二つ持ってきている。クーラーボックスにセブンイレブンで売っている平角氷を入れておけば24時間位持ち、立派な冷蔵庫となる。

南三陸町防災庁舎は後世に残すべき

[被災したままの南三陸町の防災庁舎]
 南三陸町ではもう一つ見る必要がある。津波被害と職員が犠牲になった南三陸町防災庁舎である。仮設の商店街から海側に少し戻ったところにある。周りは、今でも工事中である。その工事中の一角だけ保存している。残っているのは、鉄骨の骨組みだけである。まじかには近づけない。20メートル位離れて献花台が置かれていた。その前で手を合わせる。若い三人連れも居合わせていた。
[宮城県・唐桑半島の巨釜]
 海岸沿いを走り気仙沼に入ったのは14時頃であった。14時半には、唐桑半島に入り、陸中海岸の切り立った断崖である巨釜に降りる。突き出ている石は、2億数千万年前の石灰岩や大理石でできているそうだ。天候があまり良くないのか、観光客が私のほかに一人。5分くらいで展望スペースに降りられる。次に巨釜からすぐの半造に向かう。入り口付近には民家がある。
 遅い時間帯であったが気仙沼が一望できる高台の漁火パークに向かう。漁火パークに着いたが、今日は休業で上に行けない。あきらめ、道の駅・かわさきに向かう。今日の車中泊の場所である。
 気仙沼から少し行くと岩手県に入る。人生初の岩手県入りである。
 18時10分に道の駅・かわさきに着く。北上川のそばである。

 18日(日)2日目である。午前3時半に道の駅・かわさきを出発する。夜9時には寝ているので、睡眠は十分である。まだ、あたりは暗い。他の車は通っていない。284号線から4号線を通り、一関を通過し、4時半に平泉に入る。

世界遺産の街 平泉

 平泉は弱い雨になった。平泉は仏国土を直接的に表した建築、庭園などがあることで世界遺産の街となった。柳御所遺跡に行くが駐車場が空いていないので、中尊寺に行く。駐車場が空いていたので、フリーパスで入る。ここで7時半まで仮眠。中尊寺参道は上りで長く杉林の中であった。金色堂に行く手前に中尊寺本堂がある。本尊は、金箔の釈迦如来。金色堂は8時半から開くので、あたりを見物し待つ。天候がよくないが、日曜日とあって、見物客は多い。
[中尊寺本堂の本尊 丈六釈迦如来坐像]
 チケットを買っていよいよ金色堂に入る。中に入ると金箔がまぶしく迫ってくる。本尊は阿弥陀如来。創建当時(1124年)もこんなきらびやかだったのかと感慨にふける。(金色堂は撮影禁止)金色堂を後にすると、風雪に耐えた金色堂の覆堂も残っていた。この覆堂で金色堂を守ってきた。先人の知恵である。
 今回は、秘仏が御開帳していた。一字金輪佛頂尊坐像、やさしい顔をしている。
 次に毛越寺(もうつうじ)に行く。萩が咲き乱れ、浄土を表した庭園がいい。雨やまず、だが小降りなので、寺院などの見学にはさほど支障ない。

遠野の昔話 どんど、はれ

 次の目的地は、平泉から80キロほどの遠野である。
[遠野物語・カッパ淵]
 国道4号線から県道に入り、道の駅・遠野風の丘で休憩し、遠野駅に着く。遠野駅からカッパ淵に向かう。この時、雨は止んでいた。昔物語のカッパ淵はお寺の裏にある普通の水深の浅い小川の流れだった。やはり名がしれているので、観光客が多い。淵では、竹竿にきゅうりを吊るした釣竿があった。驚いたことに、子どもの観光客がそれと同じような釣竿で川に入れ、カッパを釣ろうとしていた。
 遠野駅に戻り、そこから近くの遠野物語の館で語り部の昔話を聞く。といってもビデオでだが、4話か5話聞いた。地元の語り部が語り、一つが5分から10分くらいでちょうど良い。ただ、東北弁なので、理解しづらいところもあった。遠野の昔話は、「むがし、あったずもな」で始まり「どんど、はれ」で終わる。
 16時には釜石に入った。雨が止んだが、どんより曇り空である。釜石には、飲食店が少なかったので、新しくできたイオンモールで釜石ラーメンを食べる。釜石ラーメンは、程よいコシのある「極細の縮れ麺」と「琥珀色に透き通った醤油味の淡麗スープ」が特徴の釜石のご当地ラーメンである。
 食事をすませて、遠野のほうに少し戻り、道の駅・釜石仙人峠で車中泊をする。
 既に、車中泊の車が数台いた。

19日(月)3日目である。

 午前6時半には、道の駅を出て、釜石駅前のサンフィッシュ釜石に入る。雨が降り出しそうな空模様だ。まだ、時間が早いので、サンフィッシュ釜石の店は数件しかやっていない。そこで、さんまの干したのと、昼食にしようとカツオのたたきを買う。そこを出て釜石港を見るがやはり工事中。今日は休日なので、釜石港の堤防で釣りをしている人が何人もいた。見るとコアジ釣りである。ということで、7月と8月の旅でコアジ釣りをしたので、ここでは竿を出すことはせず、見物をすることにする。釣りを見て暇をつぶすと9時近くになったので、釜石市立鉄の歴史館に向かう。高台にあるので、釜石の港がよく見える。私が一番乗りのお客さん。そのあと、60代の夫婦が入ってきた。中では、釜石の鉄の歴史を学んだ。
 釜石は近くに鉄の製造に必要な鉄鉱石があり、江戸時代から続き、近代日本の製鉄の幕明けを作ったところである。盛岡に生まれた大島高任が近代製鉄の父と言われている。今も、釜石駅の真ん前に新日鉄住友金属製鉄所があり、煙突から白い煙がたなびく。

 さらに北上し、大槌町に入る。大槌町も港のほうは工事だらけである。吉里吉里を通って海岸沿いに北上する。12時には、宮古の月山展望台近くまで来る。ところが、この前の雨のためか、途中で通行止めとなっていた。入口に1台車が止まっていた。まだ止めるスペースはある。しかし、歩いて4キロとのことなので、時間的に無理と判断し断念。
 宮古市内には入らず盛岡に向かう。盛岡まで約90キロ。国道106号線を行く。

盛岡は山の中

[盛岡城跡公園より南方を望む]
 14時半に盛岡市に入る。歴史文化館の地下駐車場に車を置き、盛岡城公園跡を歩く。戦争法廃止のデモ行進に参加しようとするが、時間が間違ったのか不発であった。午後5時半頃にあきらめ、盛岡市内の温泉施設、喜盛の湯に入る。休日でもあり、混んでいた。三日ぶりの風呂なので、ゆっくりと入り、出てからは、中のレストランで夕食を取る。
 既に陽は暮れて暗くなっていた。また、90キロの道のりを宮古に戻る。夜なので道は空いている。私は、運転し始めたのが、30歳ころだが、その頃から、できるだけ、高速などを走るときは夜に走ってきた。というのも事故以外は渋滞がないからである。
 宮古には、午後8時45分に着く。道の駅・みやこはすぐわかった。そこはもうすぐ海であった。ここで朝まで車中泊をする。他の車中泊の車も十数台いる。夜、道の駅に行くと、車中泊の車は必ず何台かいる。でかいキャンピングカーもあれば、私のような軽自動車で車中泊も多い。一人で旅をする者も多いが、中高年の夫婦連れも多い。二人だと軽自動車はきついように思う。そういう車をよく見ると屋根に荷物置き場を作っているものが多い。

20日(火)4日目である。

[宮古・海より浄土ヶ浜を見る]
 道の駅を6時半に出て、宮古・浄土ヶ浜に向かう。7時過ぎには着く。まだ、ビジターセンターなど開いていない。8時頃、ビジターデンターが開いたので、情報を取る。予定では、みやこ浄土ヶ浜遊覧船は、8時40分に出ることになっていた。ところが、今日は、昨日まで3連休だったので、15時半の一本だけとのこと。そんなことがあるのかと驚く。その時間まで待つ気はないので、遊覧船の波止場を抜けて、サッパ船に乗ることにする。
 青の洞窟と浄土ヶ浜を見る。客は、アベック二組と私の一人。どうも二組とも新婚旅行のような雰囲気。待たずに乗れることになった。1500円、いい値段だ。青の洞窟は、小さな船一艘が入る、海からしか入れない洞窟である。最初、海面が高いのでこんなところに入れるのかなと思っていたが、近づくと意外と入れるものである。その点は船頭はなれたものである。また、波が高いと入れない。今日は、波が穏やかであった。海が荒れた後なので、漂流物もあったが、確かに中は緑がかった青い海の色だった。

カモメにエビせん

 受付でエビせんをもらった。なんだろうと思って、ザックに仕舞い込んだ。アベックがエビせんをカモメにやり始めた。ああそうか、カモメの餌にとくれたのだとその時分かった。何十羽と寄ってくる。カモメはよく見ると獰猛な顔つきをしている。私は、エサをやらず写真を撮っていた。有名な浄土ヶ浜も船から見えたので、近くにはいかずじまいにした。
 私は、11時には田老の防潮堤に立っていた。ここ田老町は、何度も津波被害に遭ってきたところである。そこで、長さ2.6キロ、高さ10メートルの世界一の防潮堤をつくった。ところが、2011年の津波はその防潮堤をも乗り越え、破壊した。今、復旧すべく工事の真っ最中であった。
 そして、たろう観光ホテルも津波にあらわれたままの姿で残っていた。
 田老町を後にし、海岸沿いを走り、陸中海岸の北山崎に向かう。45号線から分かれて20キロ走る。道は、曲がりくねって山道を走っているようだ。
[三陸海岸・北山崎]
 北山崎は国立公園である。展望台は3つあったが、第1と第2に行く。第1は、すぐそこにあったが、第2展望台は崖を下る。階段は約400段。降りるにはよいが帰りは大変。しかし、頑張って降りる。
 第2展望台からの眺めは格別。これが陸中海岸の風景だと知る。標高差200mの大断崖が8キロにわたって続く。
 北山崎から黒崎灯台に行く。ここがまさしく北緯40度00分00秒の東端ポイントである。そこには、北緯40度のシンボル塔と黒崎の灯台があった。そこから、沖を行く貨物船が穏やかな波を越えて走っていた。

[久慈琥珀館の琥珀の作品]
 13時に久慈琥珀博物館に入る。久慈は琥珀が取れるところである。琥珀とは、数千年前に生い茂っていた樹木の樹脂が化石化したものある。琥珀博物館のあと、久慈駅前を訪れる。朝ドラ「あまちゃん」の舞台である。ところが、駅前や商店街は9月の台風で浸水。海女ちゃんなどの情報館はまだ再開していない。
 駅や、駅の看板、プラットホームなどの写真を撮り、次の目的地に向かう。

三陸はまだ工事だらけ

[三陸は未だに工事中]
 ここから、三陸に分かれを告げ、内陸に入る。宮城県と岩手県の三陸をずっと走ったが、震災から5年半も経つが、どこの町も港に近いところは工事だらけ。堤防や道路を作っている。そこかしこに飯場の仮設が建っている。道路は、工事名を書いたステッカーをつけたダンプカーがひっきりなしに通っている。工事人が多くいるので相当東北の人口は増えているのではないか。
 今度は、281号線を内陸に向かって進む。岩手町に入る。 今日は、道の駅・石神の丘に車中泊をする。
 ここで、区職員だった能代出身の石塚君(50歳くらいで二年前に退職)に電話。元気なさそうだったが、能代に訪問したいと告げると、「いいよ」と返事。明日会うことにする。

21日(水)5日目である。
 午前6時に起床。夜は冷え込んだと見えて、車のフロントガラスが白くなっていた。外は陽がさしていた。外気温は15度だった。今日は山を越えて秋田に入り、一気に日本海にいたる予定だ。
[八幡平・大深沢展望台]
 八幡平に差し掛かると曇りになった。峠は気温7度で風が強い。峠の駐車場は朝も早いので誰もいない。秋田側は晴れている。じっとしていると夏の服装なので寒い。写真だけ取って、秋田側に下る。下っていくと駐車場とトイレがあった。1台の大きなキャンピングカーがエンジンをかけて停まっていた。私も車を停め、昨日買った大福を朝飯として食べる。非常に良い天気で気持ちがよい。トイレのほうから一人の中年の婦人が出てきた。私の車のナンバーを見て、「八王子からですか」と声をかけてきた。私も、「これからどちらへ」と返した。「後生掛温泉へ」とのこと。この先下った途中にある秋田の有名な温泉である。私は、「温泉宿にお泊りですか」と尋ねると、婦人は「キャンピングカーで回っています」と答えた。夫らしき運転手が早く乗ってと目配せをしたので、婦人はそそくさと車に乗って去った。

(その2に続く)