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2018年7月 新潟、佐渡の旅
2018年7月 新潟、佐渡の旅
小林秀治
7月11日(水)
夜、仕事を終えて帰宅。用意していた荷物を車に積み込んで22時に南大沢の自宅を出発した。 夜とあって、圏央道あきる野インターまでの道のりは空いていた。あきる野インターに乗ってからも車は多くないが、トラックは多い。関越道めざして、鶴ヶ島ジャンクションを目的地に走る。平均時速100キロ。 関越道に入ると、圏央道よりは空いていて、休憩なしでスムーズに走る。 関越トンネルを超え、越後川口サービスエリアで、車中泊。朝まで寝る。
7月12日(木)
全国的に猛暑だが、昔から新潟の夏は暑い
朝、6時に目が覚めて、サービスエリアのトイレで、顔を洗って出かける。天気は快晴。暑くなりそうだ。新潟は昔からフェーン現象により夏は暑い。 新潟空港インターには8時頃に着き、一般道を実家のある新潟空港の南側の太平に向かう。 9時には実家に着いた。実家では、母と弟がすでに出かける準備をして待っていた。二人とも軽装で荷物も少ない。母は杖を持っていた。 載せていた釣り道具などの荷物は、一旦実家におろし、9時半には実家を出発した。 磐越道を走る。夏休み前なので、車は少ないが、磐越道は、一車線になるところも多く、気をつけて運転することが必要だ。
私の生まれた土地は限界集落になりつつある
私の生家 朽ち果てている
1時間くらいで関越道・津川インターを降りる。降りて、国道49号線を会津に向かって走る。福島県との県境の手前で田沢に向かう山道に入る。山道とはいえ、比較的整備された道路である。整備されているのはその奥にゴルフ場と小さな村があるからである。しかし、ゴルフ場は少し前に閉鎖されたとのこと。やはり、過疎になり、地方の経済状況も良くないのが原因とみられる。 くねくねとした道を走る。峠を越え、下っていくと、いっきに開けて集落が見える。私の生まれた土地である。夏は暑いが、冬は3mも雪が積もる豪雪地帯である。今は、温暖化のせいで、そんなには降らないと思う。 私は、この地で小学校に上がるまで過ごした。 父は、私が小さい頃は、この辺の山で炭焼きをして生計をたてていたが、程なくして、炭焼きでの生計は立ちゆかなくなり、新潟市へと親戚を頼って出て行った。父の兄弟は7、8人いたように思う。その半分くらいは、新潟市に出て、商売や勤め人をしていた。残された、私も含めた3人の兄弟と母親はしばらく、津川町の近くの九島と天満というところで借家を借りて住んでいた。二年くらいして、新潟の親戚の家を借りられることになったので、家族で新潟に引っ越すことになった。
村のお寺の地蔵さんたち
そこは、古町という昔ながらの落ち着いたたたずまいがある町だった。15分くらい登って歩いて、また下ると日和浜という海岸に出るくらい、海岸に近いところであった。 私は、そこで、小学校を出るまで生活した。ここで、私は小学校4年の時に新潟地震を経験した。液状化でビルが倒れる、信濃川が決壊するという大きな被害が出た。隣のお寺に避難したときの余震がかなり怖い記憶として残っている。 私が中学校に上がる時には、母も勤めるようになり、別の借家に移り住んだ。中学、高校とそこから通い、高校卒業と同時に、東京に働きに出た。 私が生まれた福島県境の田沢は、5年前くらいに訪れていた。40代の頃には、今の家族を連れて訪れていた。その時から、村の真ん中にあったお寺は、朽ちてなくなっていた。そこには、小さなお堂が建てられており、時の流れを感じるものであった。 昔からあるのは、赤い頭巾を被った石の地蔵さんと大木の銀杏の木であった。 小さい頃見ていた風景は、すべて大きなものに見えていた。距離があったと思っていたが、大人になって今見る風景は、小さく小じんまりとしていて距離も短いものである。こんなに小さかったかと驚くものである。 さて、私の生まれた実家は、朽ちてはいるがまだ残っている。祖父母がそこに30年くらい前まで住んでいたが、その後老人ホームに入り、そこは売った。別の人が補修してしばらく住んでいたようだが、その人も亡くなったのかいなくなり、今は空き家となり朽ち果てるばかりである。その下の家も今は空き家のようである。 今、村全体では、5、6軒くらいしか残っていないのではないだろうか。 母も自分の生まれた家を見て、感慨ひとしきりのようであった。 田沢を後にして、津川に戻り、とんかつレストランで昼食。新潟にはたれカツという名物がある。薄いとんかつにソースだれをかけたかつ丼である。 津川には、母の親戚のつね子叔母さんが住んでいる。母より下だが、70代半ばくらいか。 母は、場所はすぐわかると言い、仏壇にあげる菓子を買い、アポなしで家まで行くことにする。 家はすぐわかった。玄関の呼び鈴を押すとつね子叔母さんはすぐに出てきて、家に招きいれた。私も面識はあったので、すぐに分かった。 家は、一軒家で働きに出ている息子と一緒に暮らしているとのことだった。息子は単身赴任のようで、実家から車で1時間以上かけて通っているとのこと。旦那は、2年くらい前に他界したとのことだった。 叔母はその年金で暮らしている。
麒麟山温泉からの阿賀野川は風光明媚
麒麟山温泉宿からの阿賀野川
叔母の家で1時間くらい話をして、別れを告げて、今日泊まる麒麟山温泉に向かう。麒麟山温泉は、叔母の家からは、車で10分くらい、近いところにある。 麒麟山温泉は、城山隧道を越えるとすぐそこにあった。隧道の手前で左に見える小高いのが標高191mの麒麟山である。麒麟山は、その名の通り、中国の想像上の麒麟に似ていることに由来するという。麒麟山温泉の昔は、旅館が5、6軒あったが、今は2軒になってしまったそうだ。隧道を越えてすぐ目に入ったのは、朽ちていく旅館の姿であった。
今日の宿は、絵かきの宿「福泉」
温泉宿の前で 母と弟
今日の宿は、阿賀野川沿いにある麒麟山温泉の絵かきの宿福泉である。夏休みの前の木曜日とあって、客は10人程度だった。 部屋の窓からは、直角にくねった阿賀野川が眼下にあった。 食事は、夜、朝ともに部屋で出された。 日本海の海の幸、和牛の焼肉、ヤマメの焼き物など、和風の料理であった。母は、魚の刺身が食べられないが他のものを平らげ、お腹いっぱいになったと言っていた。 温泉には、露天風呂がつきものだが、夜、ライトに照らされた露天風呂は、阿賀野川は幻想的である。ここの宿は古いせいか、エレベーターがない。母は、2階から階段をゆっくり手すりを使って降りて風呂に行った。転んでけがをされると困るので、私は下で見守っていた。
7月13日(金)
朝食は、8時であった。品数も多く、ゆっくり食べた。 朝風呂に入り、9時過ぎには、宿を出発。昨日、つね子叔母さんのところで、母が杖を間違えたというので、また、つね子叔母さんの家に寄らせてもらった。つね子叔母さんは、朝から不在とのことで、母の杖は玄関に出してあった。 杖を受け取り、その足で関越道津川インターから新潟の実家に向かった。途中、寄り道し、道の駅新潟のふるさと村に寄る。母は、以前ふるさと村の近くに住んでいた時、近所の人がよくふるさと村に連れてきてくれ、よく来ていたとのことだった。ふるさと村は、できてからもう20年になる。 そこで、スイカや野菜、魚を購入。出店では、母は好きなコーヒーを飲んだ。 昼になり、混んできたので引き上げる。ふるさと村から実家までは40分くらいである。 新潟の町は、今日も暑い。夏は特に暑いが、冬はシベリアの風が吹き、寒い。 実家に着いて、私は、佐渡に渡る準備に入った。釣り餌を購入するため、近くの釣具店に1時間ほど行っていた。 戻って、ふるさと村で買った新潟ラーメンを弟と食べた。母は、旅館で朝食をいっぱい食べたので、まだ、お腹が空かないと言って食べなかった。 16時頃、実家を出て、新潟駅方向に向かい、佐渡航路フェリーターミナルに行く。そこは、高層の朱鷺メッセというコンベンションホールと隣併せである。 まだ早いので、一番に着いた。フェリー窓口は、開いていたので予約していた切符を買う。佐渡航路カーフェリー・新潟港発、往復で2万6740円である。
佐渡は3度目、なぜか懐かしい
出航は、19時半。定刻に新潟港を出る。まだ、明るい。2等船室内は、ツアー客などで意外と混んでいた。 22時、両津港に着く。あたりは真っ暗。フェリーを車で降りて、真野湾の方に向かう。そして、湾沿いに西に行き、二見漁港に着く。港には誰もいない。海も波がなく静かである。真野湾の対岸の明かりがよく見える。こう見ると佐渡は大きい。 クロダイ狙いで竿を出すが、あたったのは、20センチのメバル3匹。夜12時を回ったので、寝る場所を探して移動する。本州の側にある小木港をめざすが、途中、海岸にある駐車場があったのでそこで、車中泊をする。
7月14日(土)
赤泊港の飾り船
朝、6時に起きる。目の前にトイレがあるので利用。そこは、佐和田の海水浴場の駐車場であった。無料である。 天気は快晴。真野湾をぐるっと回り、山を越えて、本州側にある小木港に着く。ここにもフェリーターミナルがある。ここからは、直江津に向かうフェリーで出ている、今出たばかりだった。 外は暑いが、港で竿を出す。しかし、あたりは全くない。1時間ほどして、両津港に向けて海岸線沿いを北上する。羽茂港、赤泊港を通っていく。道は整備されている。弁天アを過ぎると、両津はすぐそこである。
昼暑いので夜釣り
両津港が見えてきた。両津港にある甲斐釣具店に寄り、エサを買う。 そして、内海府海岸を北上する。羽吉の漁港で午後3時頃<から釣り竿を出す。エサは青イソメ。30分くらいしてあたりがある。エサが取られる。引くのに合わせて掛けると20センチ超えのアジであった。こんな浅瀬で中アジが釣れるなんてさすが佐渡の海である。アジが釣れ、小メジナも釣れた。午後5時を過ぎても明るいが、別のあたりが出てきた。メバルである。引きがよい。上げてみると25センチくらいのよい型。暗くなって9時頃まで釣る。メバルを20匹ほど釣った。残念ながら、クロダイのあたりすらない。やはり、沖磯などにいかないと出ないようだ。沖磯では、真鯛も出る。沖磯に行くには、船で渡ることになる。 車中泊の場所を探して内海府海岸を北上する。だんだん道は狭くなる。 程なくすると、漁港に出た。北小浦漁港、コブダイの里と看板がある。トイレもあり、整備されている。ダイビングスポットのようだ。今日は、ここの港で車中泊をする。
7月15日(日)
佐渡の北は荒々しい切り立った崖と岩
名所 二つ亀
眠りから覚めると午前5時頃、すでに陽の光がさしている。北小浦漁港を出て、佐渡の北端、弾崎を通り、名所の二つ亀へ。島周回道路の案内板を見て入るとホテルの駐車場。間違ったかなと思うが、二つ亀はこの下と案内があるので、車を降りて歩いていく。午前6時とはいえ、日差しはまぶしい。程なく下ると、キャンプ場が見える。7、8張くらいはある。宿泊者たちは、朝食の準備に入っていた。そこからさらに階段で降りていく。100mくらい下ったように思う。降りたところの海岸の目の前には、小島があった。並んでうずくまった亀に見える沖の島と磯の島である。島の手前は海水浴場となっている。
二つ亀から南を見る
ここは、両津港からは、車で約50分のところにある。 また、降りた階段をゆっくり上った。汗が出た。 二ツ亀を後にし、その近くにある大野亀という小島を展望駐車場から見て、外海府海岸に入る。海岸線は切り立っていて岩が多い。 荒々しい海岸線を過ぎて、山から流れ出る川に沿った道があったので、車で入る。佐渡は、大きい島なので川は多い。そして、渓流魚のイワナ、ヤマメも生息する。 川沿いの林道に沿って入るが、1キロくらい行くとだんだん、木々が迫り、道が狭くなる。この先は無理だなとバックで慎重にも慎重に後戻りする。でかいアブが車の熱に反応し、寄ってきたので、河口近くまで戻り、渓流釣りの支度をして、行けるところまで車で行ってそこから歩く。アブがいるということで、顔を防虫網で覆った。暑い。しばらく歩くがアブが寄ってこないので、防虫網はしまった。アブが出るところではこの顔全体を覆う防虫網がないと歩くのは大変。顔中にたかられ、退散する以外なくなる。しばらく前に山形の最上川水系の沢に入った時には、アブにたかられて大変だったことがある。 川幅は狭いがポイントもあるので、竿を出す。しかし、まだ、河口から2,3キロ入ったところで水温がぬるい。案の定、よいポイントでもあたりはない。1キロくらい上って、道らしきものが川沿いにあるので、そこに上って、その道らしいところを歩いて戻った。 この先に、ドンデン山に入る道があり、そこに沿って川が奥に行っている。
渓流の水の流れに入ると暑さは和らぐ
そこに向かう。その入り口に着いた。ふと見ると工事による通行止めの看板。いったん先に行くが、思い返して、今日は日曜日で工事はやっていない、行けるところまで行ってみようと入る。河口から5キロくらい行ったところで、工事の通行止め。道路の端が崩れているのを修復している。通行止めの手前で車を置き、その先の川に入る。炎天下で渓流を歩いても暑い。日影と川に入っていると涼しい。 ポイントで魚のあたりはあるものの掛からない。粘ってもかからない。さらに上に行くが、だらだらした渓相がずーっと続いているので、途中であきらめて帰ることにした。今回の佐渡の渓流釣りは川選びで失敗だった。 その後、尖閣湾を遠くから望み、また、両津に戻ってきた。 釣り餌と氷を買い、昨日、人が入っていた内海府海岸の漁港に入る。すでに、二人が先客でいた。二人は慣れていてフカセ釣りをしていた。最初は、島外の人かと思ったが、地元の人たちであった。メジナを結構釣っていた。クロダイも混じった。5時過ぎに引き上げていった。 私はその下でイソメを付けてクロダイを狙う。しかし、エサはなくなるものの、掛からない。掛ったのは草フグ。暗くなりかけると小アジが釣れる。この小アジを泳がせて大物を狙う。 もう一本の竿でまた、メバルを釣る。 泳がせにはあたりはなかった。夜8時頃に引き上げる。 明日帰るので、両津港近く、加茂湖畔の道の駅で車中泊をする。他にも3台くらい車中泊する者がいた。
7月16日(月)
夏の新潟港
朝6時に起き、顔を洗って、ひげを剃り、身支度。朝、風が吹き気持ち良い。 7時過ぎには、両津港に着いた。すでに、2台の先客がいた。 切符は買ってあるのでチェックを受けて、ターミナルビルの2階で土産を買い、朝飯を食べる。 たれカツとラーメン。トビウオのすり身と生ワカメが安かったので買う。 9時15分に定刻通り両津港発。行きは夜だったので、帰りは、海を見ながら新潟港に入る。 11時45分に新潟港着。やはり暑い。 港から関越自動車道に入り、途中1回の休憩で南大沢の自宅まで突っ走る。約4時間半であった。 以上。