2019年5月、山陰・中国地方の車中泊の旅

小林秀治

1日目(5月1日、水)

昼間は、第90回メーデーに参加し、代々木公園から代々木駅近くまでデモ行進をした。
  帰って、荷物を車に積み込み、午後8時20分に、南大沢を出発し、福井県の小浜インターに向けて、高速道路を進む。全長約469.2キロ、ノンストップで行くと5時間8分かかる。しかし、そうはいかず、途中で睡眠を取らねばならない。外は雨になった。
  高速道路は、相模原相川インターから圏央道、海老名JCT、東名高速道、御殿場JCT、新東名高速道、豊田JCTと行く。沼津を過ぎたあたりから雨は徐々に止んできた。

2日目(5月2日、木)

二日目に入った。連休中なので、トラックは少ないが乗用車は多い。1時には、名神高速道に入り、一之宮JCT、米原JCT、敦賀JCT、舞鶴若狭道と行く。   
  1時10分に東郷PAで休憩。養老SAで4時間ほど寝る。
  睡眠を取ってまた走る。外は、風が強い。7時5分に三方五湖PAで休憩。8時に小浜インターを降りた。ETC料金は、5470円であった。軽自動車と夜中に走るので安い。
  8時半には舞鶴に着く。小浜西インターから舞鶴市までは、27.1キロ。

舞鶴は湾奥にある

舞鶴引き揚げ記念館(抑留生活)

8時45分に舞鶴東港近くにある舞鶴引き揚げ記念館を見学する。舞鶴港は、中国、朝鮮などからの引き揚げ港として昭和33年まで仕事をした港である。その歴史や抑留生活の苦しさなどを展示している。岸壁の母といわれる端野いせさん。息子の帰りを待っていく年も舞鶴港に立ち続けたそうである。展示については、日本が起こした戦争や日本軍についても語るべきではないかと感じた。
  舞鶴引き揚げ記念館から少し西に行くと、舞鶴親海公園があり、海釣りができる。連休中とあって、家族連れでにぎわっていた。
  15時に魚っち館に入る。関西電力が経営する小水族館であり、300円と安い。水につかれる池などもあり、家族連れでにぎわっていた。ついでに電気の説明もあり、原発の説明もしてあった。
  17時に、今日、車中泊する道の駅海の京都宮津に着く。停まれる台数は20台くらいと少ない。連休中とあって、どこの道の駅も混雑している。運よく1台空いていたので、確保した。最初は、舞鶴とれとれセンターという道の駅に行く予定であったが、道の駅に入るのが待ちの状態だったので、変更した次第である。ここから、天橋立は、すぐのところである。連休中でもあり、天橋立周辺の道路は混雑しているので、天橋立は、明日の早朝行くことにする。

3日目(5月3日、金)

5時に起き、道の駅海の京都宮津を出発。

天橋立は山の上から

天橋立の松林の浜と朝陽

5時半に南側の天橋立入り口に着く。ここに智恩寺駐車場があるが、8時にならないと開かない。早朝なので、店は閉まっており、知恩寺の入り口まで車で行ける。ここから、北に全長3.6キロの天橋立が伸びている。徒歩では片道50分とのこと。天橋立の中は、松林の道で、歩きやすい。
    ここでは、駐車できないので、北側の入り口、天橋立傘松公園に向かう。天橋立入り口付近に駐車禁止とは書いていない駐車スペースがあった。車中泊していたと思われる車が一台停まっていたので、その横に駐車して、天橋立の松林の道と海岸沿いの砂浜を歩く。気温が15度くらいとあって、少し涼しい。海面は、波がなく湖面のようである。そこに、東から登った太陽の陽がきらきらと落ちている。


傘松公園からの天橋立

次に、山の上の方にある傘松公園をめざす。
  ここも早朝なので、ロープウエイなど動いていない。ロープウエイの横にお寺があり、そこに通じる階段がある。その先に整備された階段状の山道がある。そこを登る。500mあり、結構しんどい。登っていくと、私のあとから青年が追い越していった。しばらくすると、上から家族連れ4人が降りてきた。相当早い時間に登って降りてきたのだろう。挨拶を交わす。
  ようやく上に着くと、傘松公園となっており、天橋立の股除きができると有名である。私は、のぞいてみなかったが、十分、天橋立が広がっている景色は、壮観である。
  8時には、ロープウエイが動くので、少し待って乗って降りた。下りる客は2名ほど。下からくる始発のロープウエイは、混雑しきっていた。下の駅に着くと、更なる客が待っていた。山を先に登って降りてきたことがよかった。


伊根の舟屋

8時48分には、天橋立の先の伊根湾に向かう。ここは、伊根の舟屋として、景観が有名である。二階建ての建物が海に面して建ててあり、1階は、海に直接面しており、そこから格納してある、船が漁に行けるように作ってある。今は、使っているのが少ないようだ。船は、別のところに係留している。テレビで伊根湾の舟屋のルポを見たことがあるが、もっと舟屋が長く連なっている印象を受けたが、いざ、現地で見てみると、意外に長くないなと感じた。
  伊根湾を後にすると、日本海に面して、断崖絶壁の光景が広がり、道はくねっている。安全に運転していく。
  10時に経ケ岬山頂展望台に着く。経ヶ岬灯台は、左手に見える。断崖絶壁で険しい。展望台には、多くのカメラマンが超望遠レンズを構えていた。何を狙っているのかというと、断崖に巣を作っているハヤブサをねらっているのだそうだ。青森の竜飛岬に行った時もカメラマンが集結し、大型の鳥をねらっていたのを思い出す。


城崎温泉はさびれておらず

城崎温泉の街並み

経ケ岬から城崎温泉に向かう。久美浜を通り、山越えで城崎温泉に入るつもりだ。ここら辺は、まだ、京都府、京丹後地方だ。約70キロくらい走って、13時に城崎温泉に着く。
  連休とあって、混雑している。予想に反して客も多く、川の両側の店もずらっと並び繁盛しているようで活気がある。
  駐車場を待って、入る。城崎温泉の一番奥にある「こうの湯」という日帰り温泉である。入浴料は600円。コウノトリが足の傷を癒していたことから発見されたという温泉で、その名前の由来がある。庭園を眺めながらの露天風呂は格別である。連休で混んでいると思いきや先客は3人のみで、ゆったりと入る。
  城崎温泉も掘割のような川があり、風情がよく、観光客も多い。さびれている感じはしない。
  城崎温泉は古い温泉で、志賀直哉の「城崎にて」にも出てくる。


城崎マリンワールドの魚たち

14時25分には、城崎マリンワールドという水族館に行く。入館料2600円と高い。そして、連休中で家族連れで大混雑していた。駐車場は、かなり離れたところで、留めさせられた。
  水族館のメインは、大きな四角の水槽が立てに伸びていて、そこに、ギンガメアジやエイ、サメ、回遊魚などの大きな魚が泳いでいた。やはり、水族館で、魚を見ていると癒され、落ち着く。他は、イルカのショーやトドのダイビングが人気であった。


餘部橋梁にある餘部駅

今日は、城崎温泉から餘部(あまるべ)に向かう。17時半に餘部橋梁に着いた。旧餘部鉄橋は、明治45年に造られたもので、既に解体されて、一部が残されているだけである。新しい橋梁が造られ、40mの高さまで、エレベーターで行けるようになっていて、上部には餘部駅があり、展望できるようになっている。日本海とその海にせり出した山が望める。
  その餘部橋梁には、隣接して、道の駅・あまるべがある。
   今日は、ここで車中泊。


4日目(5月4日、土)

5時過ぎに道の駅・あまるべを出発。外は風があり少し寒い。道路には、消雪パイプが埋められている。冬の日本海沿いは、雪が降る。

鳥取砂丘は砂漠ではなく砂丘

早朝の鳥取砂丘

まずは、西に向かい、鳥取砂丘をめざす。日本海の海岸線沿いを走る。早朝なので車はほとんどいない。ところが、6時に鳥取砂丘ビジターセンターに入り、びっくり。満車に近いくらいの車が停まっている。早朝、夜の車の出入りは無料のようだ。車中泊の車もある。
  車を停めて、砂丘に入る。曇り空の中、多くの人が砂の中を歩いている。裸足で歩いている人もいる。砂は細かい。夏などは、砂が熱くなって歩けないのではないかと思う。一旦下ってまた登ると日本海が見える。全体では、砂丘が少なくなってきているのか、予想したよりはワイド感がなく、こじんまりとしていた。


三朝温泉河原湯はお勧め

三朝温泉・河原湯

鳥取市内を経て、8時に三朝温泉に入る。河原の駐車場に車を停め、10分くらい歩いて河原湯に入る。無料で入れる混浴だが、川沿いにあるので、橋からも岸からも丸見えである。従って、女性は入っておらず、先客は地元の人が一人と、若い旅人が一人であった。夜、暗くなると女性は入れるかもしれない。以前に伊豆の浜の露天風呂に家族と入ったが、真っ暗で女性も割と気兼ねせずに入っていたことを思い出す。河原湯は、朝の陽を浴びて、開放感抜群で気持ち良く入浴できる。あとから、お父さんと保育園児と思われる男の子、女の子が3人入ってきた。若いお父さんであったが、こまめに子供の面倒をみている。足に、刺青があったのが印象に残る。
  三朝温泉から米子を通り、境港にいく。境港に着く頃は、昼近くで、気温も上がってきて暑くなった。


境港は水木しげる一色

そこにいるかのような水木しげる

境港に着いた。駐車場が満車なので、待って停める。後で分かったが、ここは港町。港には車を停められる無料のスペースがいっぱいあったのだ。ここ境港は、漫画家水木しげるの出身地である。
  連休中とあって、境港駅から、水木しげるロードには多くの人が出ていた。両脇の店は、土産物屋や飲食店に変わり、客が入っていた。通りには、ご存知のように、漫画に出てくる鬼太郎、ねずみ男などの妖怪たちのブロンズ像が歩道にいっぱい立てられている。人混みをかきわけてぶらぶら歩き、水木しげる記念館に入る。少し待って入館。水木しげるの自筆の作品などは撮影禁止であった。その他は、作品に出てくる妖怪などが展示されていた。


島根は陽が沈む国

出雲大社の神楽奉納

境港から北側の運河にかかる大きな橋を渡り、宍道湖沿いを西に進む。運河を越えると島根県である。中海沿いを走り松江に入る。松江から左手に宍道湖を見て走り、出雲市に入る。出雲市に入ると出雲大社まであと9キロの案内が出てくる。今日の最後の目的地は、出雲大社である。4年前には、家族で伊勢神宮を見ている。こうした有名な神社は歴史的に見てどういうものかという観点から見学することにしている。
  昨今は、平成から令和に変わったことから、何か、時代の変化ということが言われるが、ただ、元号が変わったということだけで、変わらず歴史は続いていると思う。そもそも一世一元制になったのは、明治からで、天皇制を定着させるのに利用したように思う。それ以前の改元は、めでたいことや災いがあったときに、改元してきていた。歴代の元号は、天皇の数よりずっと多く、令和も含めると248もあるのである。
  出雲大社の駐車場は待たないと入れないので、手前の古代出雲歴史博物館に入る。そこの庭から出雲大社に通じているので、見学には便利。博物館は、出雲大社の模型や、その歴史などを語っている。そのもとになったのが、出雲国風土記だ。地方の様子を記したものが残っているのは珍しいらしい。神々の国、神話のふるさととも呼ばれる島根。弥生時代、古墳時代、豪族やそれを取り巻く人々の暮らし、古代の文化があったのだろうと想像する。
  博物館から大社に通じる道を歩き、出雲大社を見る。当然のことながら、大社殿には近づくことはできない。屋根の上の方だけが見える。出雲大社の古代本殿は、地上から48mもあったとのこと。今の高さは約24m。境内には、新天皇の即位を歓迎する看板が見られた。少し離れたところで、神楽が奉納され、舞いが舞われていた。


道の駅・キララ多伎から望む夕陽

出雲大社からくにびき海岸通りを通って、16時半には、車中泊する道の駅・キララ多伎に着く。道の駅の店がまだ開いているので、買い物をし、海鮮料理店で、海鮮丼を頼む。いくら、ほたて、まぐろ、イカなどがのっているが、特に地物の魚があるわけではない。そして、1700円としては、いがいと小盛りであった。
  食べ物以外で、ここの道の駅は、日本海に沈む夕陽がすばらしい。水平線に落ちる夕陽は、季節によっても何とも言えず、哀愁がある。季節によって、夕陽から受ける感じは違って見える。冬は、なぜか温かみを感じ、夏は、周りが暑いせいか、沈む夕陽は物悲しく見える。出雲市は、日本遺産として「陽が沈む聖地出雲」をアピールしている。


5日目(5月5日、日)

5時過ぎに道の駅・キララ多伎を出発。石見銀山をめざす。
  道の駅からは、約30.5キロである。


石見銀山坑道入り口
6時半に石見銀山の石見銀山公園駐車場に入る。早朝なので、車一台しか停まっていない。ところが、よく見ると公園駐車場は駐車禁止となっていた。地元の人らしき人が教えてくれたが連休中は公園駐車場は停められないそうだ。車で5分くらいにある世界遺産センターに車を停め、天気がよいので、山を越えることにする。公園からは、銀山入り口まで徒歩45分かかる。多くの観光客は、レンタサイクルを借りている。700円だ。貸し出しは9時からとなっている。
  私は、7時前に、世界遺産センター横の山道を登っていく。 
  杉の木立を超えると、道路に出る。車の侵入を規制しているので、車は来ない。1時間くらい歩いて、道路の終点まで来ると今度は銀山入り口までの下りとなる。周りは手入れの行き届かない竹林となっている。そこそこにタケノコが掘られた跡があり、また、タケノコが地面から顔を出している。私も、掘りやすいタケノコを一本いただくことにする。ここの下りはとても急で、落ち葉が山道に溜まっていて、最近ほとんど人は通っていないようだ。これを登るのは大変だと思いながら800m下る。
  そこを降りてくると、ひざが少しがくがくきていた。山を降りたところに神社があった。補修修理中だが、雅楽の音が響いていた。


人力のみで坑道を掘る


そこから、すぐのところに、銀山の入り口、龍源寺間歩がある。石見銀山には、大小合わせて600か所を超える間歩がある。間歩とは、水抜き、通気用、試掘を含む銀鉱石を採掘するための坑道のこと。
  私は、今日の見学客一番乗りである。受付の人がようやく配置につき、料金を支払い、坑道に入る。今、常時公開されているのは、この龍源寺間歩だけである。別のところにある、大久保間歩も公開されているが、土日祝日限定であり、ガイドがつく。坑道の中は、ひんやりして、地下水も滴っている。人が通れる坑道だが、頭を下げないと行けないところもある。そのメインの坑道から枝分かれのように鉱脈に向かう補足狭い坑道が掘られている。昔の人は、これを人手でよく掘ったものだと感心する。
  坑道は、長いものではない、新しく斜めに掘られた坑道を出ると、杉の木立のある、鳥の鳴き声のする山の中であった。
  龍源寺間歩から45分かけて歩き、駐車場公園に出て、そこから、20分ほど歩いて、世界遺産センターに戻る。その間、約3時間半であった。
  石見銀山を後にし、江津に出て、国道9号線を行き、益田、浜田を通り、津和野に入る。日本海に面した浜田のスーパーで今日の夕食などを買う。私は、食事は、地元のスーパーや道の駅で基本、買うことにしている。安いのとうまいものがあり、楽しみだからである。その日は、アコウ鯛(赤い色の深海魚、高級魚)の刺身を買う。約127キロ走ってきた。


津和野は城下町、静かで落ち着いた街だった

掘割のある津和野

13時半に津和野の森鴎外記念館を見学し、そこに車を置いて、津和野市内を見て歩くことにする。鴎外は、津和野生まれだが、10歳の時上京して以降故郷には戻っていない。鴎外は、軍医と小説家として名を遂げた。私が高校生の時に、国語の先生の影響で「舞姫」など、鴎外の作品を読んだことがある。ドイツに留学した日本人の留学生とドイツ娘と悲恋を描いている物語である。
  家の前の水路には、鯉が泳いでいて、風情のある町の風景である。それが今も一部残っているのが、津和野である。江戸時代津和野は、津和野藩亀井氏の城下町であった。小京都と言われている街並みが今も残る。
  また、SLが走っている街でもでもある。
  津和野を散策したあと、16時半に道の駅・願成就温泉に着く。今日の車中泊の場所だ。そこに温泉がある。早速入って、汗を流す。出てから駐車場の端に車を停める。そこには、電気スタンド小屋があるが今は使われていない。そこで、ガスを燃やし、石見銀山でいただいた竹の子をゆでる。10分くらいでゆであがり、醤油をつけて、道の駅で買った鯖寿司とおいしく食べた。


6日目(5月6日、月)

5時20分に、道の駅・願成就温泉を出発。萩をめざす。津和野からは、53.3キロと近い。早朝の道路はすいている。また、猿、鹿、狸などの野生動物を見ることもできる。道路脇は、日本原風景の田んぼが連なる。山陰では、すでに田植えを終わったか、水をはっているところである。田んぼの通りを走っていると、今は、カエルの声が聞こえる。山を走ると、今の季節は、鶯の音が響く。

幕末維新と萩、吉田松陰

萩・松下村塾

萩に入って吉田松陰のいた、松下村塾を見る。ここから、幕末維新に活躍した人たちが出ている。6時20分には、萩の中央公園駐車場に入る。係員がいないと無料だが、いると310円。城下町を散策。江戸時代は、毛利氏の長州藩の城下町であった。萩は、日本海に面し港もある。城下町は、細い道が縦横に走っていて、その両隣には、門や塀のある家が立ち並ぶ。昔は、武家屋敷があったのだろう。その跡を継ぐ人々が住んでいる。


カルスト台地の広がりは壮観

カルスト地形の秋吉台

萩の城下町を散策したあと、ここから約30キロのところにある、秋吉台に向かう。
  連休の最後でもあり、秋吉台に入っても車は少ない。9時に秋吉台の展望台に着く。緩やかな山肌に細長い岩が無数に突き出ている。今までに見たことの無い光景だ。カルスト台地の広さと景色に納得する。その範囲も広いので圧巻だ。この石の下には、いくつもの鍾乳洞が広がっている。秋芳洞などに入るのに1200円と有料だ。今回は入らず。
  長門を経て、海岸線を走って下関に入る。途中、芝のある阿川ほうせんぐり海浜公園で、海を見ながら昼食。
  山口県の海岸沿い道路を走る。山口は、安倍首相の地元。選挙が近いせいか、選挙用のポスターが目立つ。もちろん安倍首相とその候補者の者が多い。私は安倍首相がいやなので、走りながら、ポスターが現れると、「アベはキライだー!キライだー!キライだー!!」と叫んでいる。


関門海峡・門司を望む

下関に入り、最初に関門海峡を見る。今、高速道と一般道で九州と結ばれている。ここにもう一本の九州とのアクセスを作ろうと動き出している。一般道のトンネルを通って門司側に渡る。通行料100円。九州側に渡って、下関側を見る。高いところに橋があり、高速道が通っている。ここでは、本州と九州が近いところで1キロ位で本当に近い。
  今日は、下関から岩国に近づくように、午後6時を過ぎても走る。19時40分岩国近くの道の駅きららあじすに着いたのは19時40分であった。「あじす」は地名である。明日に備えてすぐに寝た。


7日目(5月7日、火)

5時15分に道の駅道の駅きららあじすを出発。国道2号線を岩国に向かって走る。途中、周南市、右手の工場地帯。煙突が何本も聳える。風がなく白い煙がまっすぐ空に向かっている。柳井市に向かう。あじすから137.1キロもある。6時に下松を過ぎ、7時20分に柳井市に入る。下松で思い出すのは、先輩に下松出身がいて、その先輩のペンネームが下松だったことを思い出す。
  柳井市には白壁の町がある。車で市内を見て回る。ちょうど、連休明けの児童生徒の登校時間。交差点などでは、地域の人たちが、黄色い旗を持って学童擁護をしていた。

青い空と新緑と5連アーチの錦帯橋

岩国・錦帯橋

その後、名勝の錦帯橋に向かう。近づくと風が出て、波をでてきたが、朝の陽の光で海面はキラキラしていた。9時に岩国の錦帯橋に着く。通行料は300円。空は雲一つなく、青く快晴。新緑の山々が5連アーチの錦帯橋に映える。とても素晴らしい景観である。錦帯橋は、江戸時代、岩国藩主が造った。
  次は、尾道を目指す。広島を過ぎ、竹原市から16時に尾道ふれあいの里に着く。尾道から山の方に16キロ位のところにある温泉施設である。ゆっくりと天然温泉に入る。無色透明無味無臭であり、弱アルカリ性冷泉である。温泉から上がり、休憩所で寝て、近くの道の駅クロスロードみつぎに行き、車中泊する。
  みつぎは、漢字で書くと「御調」なる。ここの道の駅は、駐車台数が少ない。連休が明けているので、車中泊の車は、他に1台くらいしかない。
  ところが、大型バスが入ってくる。路線バスに、長距離バスだ。東京行きもきた。路線バスは、学生が降りてきて、迎えの車に乗り込んでは消えていった。すぐ近くに中国道のインターがあるから長距離バスも来るのだ。


8日目(5月8日、水)


尾道の道は階段

5時過ぎに道の駅クロスロードみつぎを出発。山を降りて、尾道市内に入る。今日は、冷え込んでいる。車の温度計、は2度から6度を指していた。5時半に山の上にある千光寺公園に着く。早朝なので、車両規制がなく奥まで入る。展望台から、尾道しない、遠くの瀬戸内海の島々を見る。尾道は、坂の街のようだ。
  そこから、下って市役所北駐車場に車を停め、尾道を散策。


天寧寺の五百羅漢像

古寺めぐりの道を歩く。古寺の中には、1300年代に建てられた寺もある。
  その中の天寧寺の三重塔は、時代を経て見ごたえがあり、語りかけてくるものがある。五百羅漢像もその一つ。500人の阿羅漢という。阿羅漢とは、仏教において最高の悟りを得たものをいう。
  尾道の坂の中腹にある古寺をつなぐ細い道、といっても路地である。今住んでいる家々の軒先を通って行く感じである。見通しのよいところに出ると、眼下に尾道の街並みと瀬戸内海が見える。その途中に志賀直哉が住んでいた旧居がある。そこからは、とても眺めがよく、瀬戸内の海と島々が広がる。尾道のすぐ前にあるのは向島である。
  今日は、小豆島に渡るので、9時50分に新岡山港に着く。10時半、新岡山港発のフェリーで小豆島の土庄(とのしょう)港に渡る。大型車2台、自家用車7台の乗船であった。瀬戸内海の島々は、多くあり、入り組んでいて、島々がつながっているように見える。


小豆島・オリーブライン

着いたのは、11時40分。島の感じがしない。ぐるっと島を半周し、12時に24の瞳映画村に入る。入村料は830円。木下恵介監督、高峰秀子主演の映画「24の瞳」の舞台となったところです。原作は坪井栄の小説である。映画村では、一日3回、「24の瞳」が上映されている。白黒映画であるが、泣ける映画でもある。松竹は、「昭和3年から終戦の翌年までの激動の時代、大石先生と教え子たちの師弟愛、幾年月を経ても変わらぬ美しい小豆島の自然と、貧しさや古い家族制度、戦争によってもたらされる悲劇とを対照的に映し出した心温まる感動作です」とコメントしている。


24の瞳の舞台にいるような映画村

24の瞳・映画村

私は、30年以上前に、この作品を見ているが、しばらく、その映画を見ていた。映画館を出ると、空は、青く晴れていて、陽の光があふれて、海も青い。映画村には、12人の生徒と大石先生の銅像と校舎が今もある。
  島の北側に周り、15時から大部港で投げ釣りを始める。1時間くらいして、先客がメジナ釣りをしていた堤防の角の場所が開いたので、そこから再度投げると、しばらくして大きなあたりがあった。上がってきたのは35センチのカレイであった。その後、午後8時前まで粘るがあたりはないので、引き上げる。今日の車中泊は、大部港である。


8日目(5月9日、木)

6時過ぎに起きて、土庄港近くにある、道の駅・大坂城残石記念公園を見る。小豆島は、石(花崗岩)の産地でもある。戦国時代、大坂夏・冬の陣で落城した大坂城修築するにあたり、小豆島の石は切り出された。その使われなく放置された残石で整備したのが、大坂城残石記念公園ということだそうだ。
  島の沿道には、「瀬戸内石の文化を世界遺産に」とののぼりなどが多く立っていた。
  最初のフェリーの出発時間は、8時40分。発着場には、まだフェリーはいない。岡山側からくるフェリーが着いて乗ることになる。10分前に遠くにフェリーが見える。5分くらい前には港に到着。すぐさま、案内があり、フェリーに車を運ぶ。連休明けとあって、大型車はなく、自家用車が4台。ここの港では、65歳以上と思われる人たちが多く働いていた。
  
  

鮮魚が安い日生町漁協の五味の市

天気がくもりから雨に変わる。9時40分に日生港に着く。そこからすぐのところの日生町漁協の五味の市に向かう。客は少ない。生きている真鯛、クロダイ、ヒラメなどを打っていた。真鯛やヒラメなどは1キロ500円くらいでとても安い。500円で真鯛とヒラメのはらわたを取ってもらい、買い求める。クーラーボックス持参なので、氷を入れて置けば、冷蔵庫になる。
  
  

宮本武蔵資料館はお勧めでない

11時半には兵庫県作用町を通過し、12時半に宮本武蔵生家跡に着く。500円を出して、武蔵資料館に入るが、武蔵の描いた絵などは複製であり、資料館といえるものではなかった。ただ、武蔵の生涯をビデオで流していた。ここは、武蔵が生まれ育ったところで、この村を出て行ってからは、戻らず、熊本の細川藩などで余生を送り、剣術の奥義をまとめた五輪書などを書いた。宮本武蔵は、ただの剣豪ではなく、美術家でもあったようだ。
  16時に道の駅・但馬楽座に着く。ここにも温泉がある。やぶ温泉という。弱アルカリ性単純泉、美肌の湯と言われ、41度、つるっとした湯ざわりで気持ちがよい。


9日目(5月10日、金)

いよいよ今日は帰りの日となった。4時40分に起き、道の駅・但馬楽座を出発。


竹田城跡を見るなら時期を選んで

JR竹田駅前にある竹田城跡の写真

近くにある有名になった竹田城跡を見ることにする。JR竹田駅前に車を停め、ハイキングの格好をして、駅裏から登った。ところが、しばらく行くと、5月末までは、8時にならない柵が開かないと書かれてあった。まだ6時前。待つわけにいかないので、やむなくそこをあとにする。
  竹田城跡は、山の上にある。そこに発生する雲海が有名で天空の城と言われる。雲海が出る時期は、9月から4月の早朝。明け方から午前8時くらいまでと言われる。11月下旬から12月上旬が最も雲海が出やすい時期だそうだ。雲海が出やすい時間帯に山に登れないので、そこを後にすることにした。
  この竹田城跡は、有名になり観光客がたくさん来て、入場制限しなければならなったようだ。
  6時半には、福知山を過ぎ、京都縦貫自動車道の京丹波わちインターに乗る。11時には、新名神高速、そこから東名阪道、伊勢湾岸自動車道に入り、名古屋湾を横切っていく。豊田インターで新東名高速、圏央道を通って17時頃自宅に着く。新東名での休憩は、駿河湾沼津のサービスエリアがおすすめ。駿河湾が一望でき、伊豆半島の入り口も見える。全行程の走行距離は2690キロであった。