岐路に立つ日本にオルタナティブな構想を
渡辺 治(一橋大学社会学部教授)

1、本講演の課題・・・現代日本社会の二つの改革の原因・現段階・対抗構想
 本講演では、冒頭に現代日本が大規模な再編成の過程にあることを明らかにし、そのうえで講演のねらいを提示する。現代日本社会の大再編は二つの改革として現われている。長年日本の安保・外交政策の基調をなしていた小国主義を改変して軍事大国になろうという動き、そしてこれまた日本の経済成長に乗って自民党政治を安定させてきた開発主義と利益誘導型の政治を変えて、企業にもっと効率的な国家をつくろうとする「構造改革」の二つである。しかもこの二つの改革は、いずれも、小泉政権になって新段階に突入し、日本社会の構造全体の変革にまで規模を拡大している。その焦点に憲法改正が浮上している。
 本講演では、一体なぜ二つの改革が浮上したのか、それはどうして新段階に入ったのか。二つの改革が新段階に入るにつれ、なぜ憲法改正が浮上したのか。また保守二大政党制はなぜ台頭したのか。そして、こうした軍事大国化、構造改革の新段階と、いま、嵐のように進んでいる市町村合併、地方構造改革は一体どんな関係にあるのか。こうした改革は日本社会・国家構想はいかなるものであるべきか、といういくつかの問いに答えるかたちで、岐路に立つ日本の現状と対抗の構想を明らかにしたい。時間も短いので、やや乱暴に既存日本国家の再編の方向と対抗する社会の輪郭を描いてみたい。

2、グローバル経済と二つの改革の台頭
 講演では、まず、二つの改革の台頭の要因を検討する。この二つの改革は、同じ根っこ、すなわち経済のグローバル化とその一環として日本企業のグローバル化に原因がある。この改革は、グローバル経済による世界の大規模な変貌の下で、既存の日本社会の成長と安定を支えてきた企業社会、小国主義の外交・安保政策、利益誘導型の開発主義政治がそのままでは立ち行かなくなったために、既存社会・国家システムを再編してグローバル経済に適合的な社会・国家をつくるための変革の試みと定義することができる。
 軍事大国化の要請は、冷戦が終焉し、大拡大した自由市場の秩序を維持し、ならず者国家による撹乱から秩序を防衛するための軍事分担を求められたためと、80年代末から怒涛のごとく海外展開した企業の要請が強まったことを受けてのものであった。自衛隊の海外派兵とアメリカによる軍事行動への協力体制の構築である。それに対して構造改革の方は、グローバル経済下での競争の激化により低下した日本企業の競争力強化を目指して行われた。冷戦終焉による市場の拡大によって、グローバル企業同士の競争が激化する下で、国家が課している累進課税や企業への規制は、企業競争力にとって大きなハンディとなった。こうして構造改革は、企業競争力の弱体化の根源である企業負担の軽減→そのための財政支出削減→とくに財政で大きな比重を占めている福祉的支出の削減、それと企業に対する規制の緩和・撤廃を二つの柱に進行した。

3、二つの改革の障害物と改革の諸段階
 講演では、続けて、実はこの二つの改革の遂行には既存政治の大きな障害物があり、改革はこれを取り除くことを強いられたため、既存政治社会の構造そのものの改革に手をつけざるを得なくなったことを明らかにする。軍事大国化を阻んだ障害物とは、既存自民党制の下で、憲法や平和主義的国民意識を顧慮して行われた小国主義の政治であった。自民党政権は、一方で安保条約の下、米軍基地を認めアメリカの傘に依存していたが、同時に、憲法の強い拘束力の下で、防衛費の制限、非核三原則、武器輸出禁止三原則、自衛隊の海外派兵の禁止、などの制約を設けてきた。軍事大国化はこうした小国主義政治と正面から衝突するものであった。とくに直接の障害物となったのは、社会党であった。そこで軍事大国化のために社会党の変質解体をねらって政治改革が追求され、また強い憲法支持意識を回避するために逆説的だが、憲法を前面に立てて軍事大国化が進められた。これが新ガイドライン体制であった。
 それに対し構造改革の前に立ちはだかっていたのは、他でもなく自民党の利益誘導型政治であった。開発主義の政治は、高度成長下にあっては、一方で公共事業投資、大企業優遇の税制、環境規制のさぼりなど大企業の資本蓄積に有利な政策を進めるとともに、成長により増加した税収を梃子に、成長で衰退する農業や中小企業、自営業部門などの(周辺)部に補助金や利益誘導政治を展開し、保守政権の安定を実現した。ところが、グローバル競争の激化する時代に入ると、こうした開発主義型政治はグローバル企業にとっての桎梏(束縛)となった。一つは、こうした開発主義とりわけ、周辺に対する補助金や公共事業投資優先の政治が財政支出を拡大し、挙げ句の果てに企業への法人税負担を増大することへの不満であった。もう一つは、こうした農業や都市の自営業など弱小産業への保護の政治が、アメリカや東南アジアなどから市場の閉鎖性を追求され貿易摩擦を激化して日本製品の輸出や貿易にとって大きな障害となってきたこと、さらにこうした保護の政治により弱小産業が広汎に存続している結果、食料品価格や流通コストは上がり、企業の競争力の低下を招いていることの二つであった。こうして構造改革は自民党政治の打破を目指したのである。しかし利益誘導型政治は、自民党政権の存立基盤であったから、自民党はこの改革をなかなか承服しなかった。こうして、この面からも自民党改革のために政治改革が強行され、自民党を政権から追い落として、自民党の転向を迫った。

4、二つの改革の新段階
 講演では続いて、二つの改革新段階の性格を検討する。政治改革の結果、本格的な改革政権として登場したのが、橋本政権であった。橋本内閣は一方で日米安保共同宣言を発して、日米同盟のアジア太平洋地域における意義を確認し、新ガイドラインを締結した。他方、六大改革を掲げて、構造改革の二つの柱を実行に移した。しかし橋本内閣の改革は財界の熱い期待に反して挫折した。一つは、橋本内閣の強行した社会保障の構造改革、消費税増税に加え、農村や都市自営業層に対する保護の切り捨ては、98年参院選での自民党支持基盤の自民党離れを生み、橋本政権はあっけなく退陣した。また、グローバル化による産業の空洞化や構造改革による農村部や都市自営業層の切り捨ては、既存の社会統合の破綻とさまざまな矛盾の顕在化を生んだ。そこで、以後の構造改革は、こうした既存社会統合の破綻にも対処しつつ、既存社会統合に替わる新たな統合の創出を模索しながら遂行せざるを得なくなったのである。
 こうして、二つの改革は小泉政権に入って、それぞれ独自の理由から新段階に突入した。軍事大国化の方では、日米同盟にそって現実に自衛隊が海外派兵できる体制づくりが進められ、9.11テロ事件を口実とするインド洋海域への派兵、さらには有事法制、イラク派兵というかたちで進展した。そして軍事大国化の完成をめざして、今やのっぴきならない障害物となっている憲法の改正が提起されたのである。他方、構造改革の方は、小渕、森政権の中継ぎのあと、小泉政権で本格的なまき直しが求められた。ここでは、企業の競争力をつけるための負担軽減、規制緩和が強行されると同時に、既存の構造改革ではなされなかった改革が追求されるようになった。企業競争力の回復を急ぐために、企業への直接の公的資金の注入や、民間企業のための市場創出が行われた。また、たんに企業の競争力強化のための改革のみならず、広く企業の活動に効率的な社会制度が作られ始めた。司法制度改革はこうしたもくろみの下に行われている。さらにグローバル化と構造改革による社会統合の破綻を弥縫するための措置も取られた。こうして構造改革の新段階は、既存国家に替わる社会・国家づくりという性格を強めたのである。
 そこで目指されている新たな社会制度、国家とは以下のようなものである。社会統合の破綻を再建するために階層型社会が目指されている。上層に手厚い制度づくりが行われ、階層型医療、階層型福祉、教育がつくられつつある。さらに、上層市民の意向を反映し、政権交替によっても改革が継続するような二大政党制が目指されている。こうした統合の枠から切り捨てられた下層に対する治安国家対策も進められている。
 急ピッチで進められている自治体構造改革も、一方では、地方財政負担の軽減のためと同時に、こうした新たな階層社会の単位づくりとしてのねらいをもって進められている。三位一体改革と市町村合併は合わせて、地方自治体ごとに、どの福祉を切り捨てるかの裁量を委ねることにより、構造改革を地方の「自主性」で推進しようという試みであると同時に、構造改革の社会の基礎単位づくりという意味も含まれている。

5、対抗する国家・社会構想・・・新しい福祉国家の輪郭と地域
 講演では最後に、こうした支配層の推進する二つの改革に対抗する国家構想の輪郭を示したい。このように、現在進められている軍事大国化、構造改革、とりわけその新段階が、既存の社会国家を総体として改編しようという大規模な改造であるかぎり、これに対抗する運動も、個々別々に太刀打ちしては有効に対処できない。大きくいって、国家の構造を変える運動と、地域から新しい生活をつくりあげていく運動の双方が必要となる。
 まず大きなたたかいの方から。現在進行中の軍事大国化と構造改革を止めるだけでなく、既存の開発主義国家をも変える運動が必要である。開発主義と自民党政治は決して守るべきではない。しかし現在進行中の改革は既存の政治がもっていた良い面、福祉国家的側面をグローバル経済に効率的でないと再編しようという試みであるから、一層悪い新自由主義国家を目指している。
 これに対して、開発主義でも新自由主義でもない第三の道、それが新しい福祉国家である。この国家は何よりも現在の根源であるグローバル企業の野放図な活動を規制することを大きな目的とする。しかしグローバル経済が文字どおり世界的規模で展開している現在、一国だけでこれを規制するこは難しい。そこでグローバル企業の横暴を規制する地域的経済圏をつくる必要がある。それは同時に、平和保障の圏と重なることになる。ヨーロッパ福祉国家がアメリカや日本に比べて頑強に生き残っている原因の一つにはEU圏の存在がグローバル競争の壁になっている面があることは否定できない。日本の場合にも、アジア経済圏それも財界の主張する自由貿易圏ではなく、それぞれの国民経済が確保され、グローバル企業の活動が規制できる経済圏をつくる必要がある。それは同時に、東アジアの非核、安全保障圏の構築と並行しなければならない。グローバル企業の規制があって、はじめてアジア圏の平和秩序もできるからである。こうしたグローバル経済の規制とともに、日本の国民経済の再建の方策が立てられなければばらない。自民党の利益誘導政治は、グローバル化と構造改革による国民経済の破壊を推進しつつ、そこで没落する農業や地場産業を、公共事業投資の導入によって一時的に救出しようという政策であるから、農業や地場産業再生への展望を持つものではない。新しい福祉国家は、こうした国民経済再建の構想を持たねばならない。
 こうした大きな構想と同時に、地域での経済再建の試みが並行する必要がある。構造改革が新自由主義国家の細胞として地域を考えているのと対象的に、新しい福祉国家も、地域を単位にして建設されねばならない。地域にナショナルミニマムを保障しつつ、地域経済の再建によって地域を新しい福祉国家の単位として育てていく必要がある。
 同時に地域は、現在の軍事大国化と構造改革の攻勢に対抗する運動の起点でもある。現在の改革が進行している背景には、保守二大政党制への志向が大きく影響しているが、こうした中央の政治状況を打破していくためにも、いきなり中央の政治からというわけにはいかない。その意味で、地域の運動は、二つの改革に反対し、新しい福祉国家をつくっていく運動場の拠点でもある。