自治体の公共性と公務労働
重森 暁(大阪経済大学教授)

はじめに
 「官から民へ」「国から地方へ」の小泉構造改革のなかで、地方自治やそれを担う公務労働者の姿が大きく変わろうとしています。
 「国から地方へ」の改革では、国庫補助負担金の削減、地方交付税の抑制、国から地方への税源移譲が一体となって進むとされていますが、現実には国庫補助負担金の削減や地方交付税の大幅抑制が先行し、税源移譲はほとんど先送りされる状態です。また、地方分権の推進を一つの口実に進められている市町村合併は、究極の自治体リストラともいうべきものであり、合併した場合でも合併せず自立の道を選んだ場合でも、自治体職員の削減をはじめとする経費抑制策が進められています。
 「官から民へ」の改革では、道路公団や郵政三事業の民営化とならんで、自治体行政の民営化・営利化・市場化が進められようとしています。これまでの保育、学校給食、清掃などのいわゆる現業部門に加えて、病院や研究教育機関などの独立行政法人化や、指定管理者制度の導入にみられるように、いわゆる管理部門にまで民営化・営利化・市場化の波が押し寄せようとしています。
 このように、「官から民へ」「国から地方へ」という新自由主義に基づく構造改革の中で、自治体行政のあり方や公務労働の性格が大きく変質させられようとしているのです。ここで、あらためて公務労働とは何か、どうすれば国民の期待に応えられるような公務労働として役割を発揮できるのか、原点に立ちかえって考えてみることにします。

1、国民の生存権・発達権を担う公務労働
 我が国で公務労働について本格的な議論が巻き起こったのは、1970年代のことであり、そのきっかけをつくったのは、1968年夏の第5回自治体学校における哲学者・芝田進午氏の講義でした。(芝田進午編「公務労働」自治体研究社、1970年)
 そこで芝田氏は、公務労働の本質は、「あらゆる共同体の本性から生じる共同業務の遂行」にあるとしました。水田稲作社会における灌漑や排水、道路網の整備などに示されるように、いかなる社会においても、人々がくらしを維持していくためにはどうしても必要な社会的共同業務があります。それを担うのが公務労働であるとしたのです。
 公務労働をめぐる論議の中で、重要だったのが、公務労働の二重性についてでした。公務労働者は二重の性格をもっているという点では、多くの論者が一致していましたが、その理解はまちまちでした。役人という側面と労働者という側面の二つの側面があるという理解、公務を担う専門労働者としての性格と賃金労働者一般としての性格とがあるという理解などです。
 私は、資本主義国家における公務労働の二重性は、その労働の内容そのものが、一面では資本の営利活動に奉仕し、官僚的支配を担うという「営利的・官治的性格」と、他面では国民の生存権や発達権を担い、くらしを守るための「社会的共同業務」であるという、二つの性格をもっているところにあると考えました。
 ただし、このような「二重性」が発生するには一定の条件が必要です。一つは、平和主義や国民主権、基本的人権や地方自治を定めた憲法の存在、二つには、それを具体的に実現するための民主主義的法律、三つには、そうした法律を生み出し、それを実践に導くための住民運動や労働運動の存在です。
 こうした条件の下で生まれた公務労働の原型を、私たちは、19世紀イギリスの工場法によって生まれた「工場監督官」に求めました。この工場監督官こそ、長い労働運動の成果として、資本による無制限な利潤追求に規制を加えるための法律に基づき、児童や女性、労働者たちの生存権や発達権を守るための「新しいタイプの公務労働」だったのです。
 このような「新しいタイプの公務労働」は、福祉国家の発展とともに、保育・教育・福祉・医療・文化・産業・都市計画・環境など広い分野に広がっていきました。これらの分野における公務労働者は、@民主主義的な憲法や法律によって保障された国民の生存権・発達権などの人権を担う労働であること、A普通の労働者並みの条件で働きながら、労働内容において高い専門性と総合性を兼ね備えているという点で、全く「新しいタイプの公務労働者」でした。

2、新自由主義的「構造改革」と公務労働
 もともと、公務労働は商品経済の枠外にある存在であり、利潤を生まない不生産的労働です。利潤を求め資本蓄積を進める企業にとっては、公務労働が利潤追求と資本蓄積に役立つ限りではその有用性を認めますが、その範囲をこえて過剰となった公務労働は、「生産上の空費」とみなされ、削減されるべき対象となります。福祉国家が成熟し公務労働が増大するにしたがって、資本の側からの「生産上の空費」への削減圧力が強まりました。グローバリゼーションが進み、国境をこえた資本間の競争が激しくなるにつれて、その削減圧力はますます強まることになります。
 他方では、資本蓄積が進み、サービス経済化が進展するに伴って、従来公務労働が担ってきた分野が資本にとっての新たな投資対象となり、資本への開放圧力も強まることになります。鉄道や港湾などの大規模な公共事業は、大きな資本力が必要であり、いわゆる懐妊期間も長く、利潤の上がりにくい分野です。また、福祉や教育などの分野は生産性が上がりにくく、資本の利潤追求にとって不利と考えられてきました。しかし、一方で、過剰なまでの資本蓄積が進み、他方で、福祉国家によって公共事業や公共サービスが拡大すると、こうした分野が資本にとっての新たな投資市場と見られるようになってきます。行政の民営化・営利化・市場化を求める新自由主義は、このような資本の願望を代弁するものだといってよいでしょう。
 しかし、このような行政の民営化・営利化・市場化は、公共部門の本来的役割を空洞化し、公務労働を根底から変質させることにつながりかねません。
 第1に、行政の民営化・営利化・市場化は、公共部門と公務労働における生存権・発達権など国民の基本的権利の保障という役割を否定し、市場における自由な私的契約関係の置き換えることを意味します。市場における自由な契約関係の世界は、貨幣の力を媒介にして人々が自由に競争する世界です。そこでは必ず勝者と敗者、成功するものと失敗するものとが生まれます。競争によって格差が生まれ、脱落者がでてもやむを得ないという世界が広がります。行政の民営化・営利化・市場化は、人々のくらしを維持するために必要な「社会的共同業務」としての公務労働、国民の権利を担う労働としての公務労働が、こうした市場原理の世界における単純なサービス労働へと後退することを意味するのです。
 第2に、行政の民営化・営利化・市場化は、公務労働における企画管理機能と業務執行機能との分断を前提としています。保育・給食・清掃から、企画・計画へ、さらに施設管理・水道などに至るまで、公共サービスの個々の部門がバラバラに切断され、標準化・規格化された労働に分解されて、市場原理に委ねられていくのです。こうして、「社会的共同業務」としての公務労働の総合性と専門性が解体されていくことになります。
 第3に、行政の民営化・営利化・市場化は、公務労働と市民との間の民主主義的関係が崩れていくことを意味します。国民と公務労働者との間の関係は、憲法や民主主義的法律をベースとした、主権者である国民と「全体への奉仕者」としての公務労働者との関係です。主権者である国民の声や要望は、首長や議員の選挙を通して、また、その他の直接的参加の制度を通して、公務労働に反映する道がつくられています。しかし、行政が民営化・営利化・市場化されることは、国民が単なるサービスの享受者・顧客となり、主権者として「社会的共同業務」のあり方に声をあげるチャンスを失うことを意味します。不満をもつ顧客は、ただ黙って市場から退出するしかなくなるのです。

3、市民的公共性の再生と公務労働
 ヨーロッパのサステイナブル・シティ政策においては、(1)市場原理に対する都市管理の原則、(2)社会的・経済的・生態学的政策統合の原則、(3)エコシステム的思考の原則(交通と水のネットワーク)に加えて、(4)協動とパートナーシップの原則が重視されています。そこでは、地方政府の役割として、@公共サービスの提供者、A地域社会の規制者、B地域社会の指導者という三つの役割が強調されています。(EU委員会専門家グループによるレポート「ヨーロッパにおけるサステイナブル・シティ」1996年出版)。この地方政府の提供者・規制者・指導者としての役割は、ポスト福祉国家における公務労働の位置と役割を考える上でも、重要な示唆を与えるものだといえます。
 現代の公務労働が、福祉国家おける公務労働のように、生存権・発達権など国民の基本的権利を担う専門的・総合的労働としての性格を維持し、さらにそれをこえる新たな市民的公共性の再生を担う労働となるためには、次のようなことが必要だと思われます。
 第一に、新しい市民的公共性を形成する主体としての市民との共同と連携をさらに強めることです。新自由主義的な公共部門再編の最大の問題は、主権者としての国民と公務労働の民主主義的関係を断ち切るところにありました。そうさせないためには、これまで以上に公務労働者と市民との共同・連携を強めることが求められます。芝田進午氏は、「自治体労働者の任務の一つは全人民を民主主義の活動に、つまり公務に引き入れ、組織することにある」(前掲書)と述べています。単なるサービスの享受者・顧客としての市民ではなく、公共性の再生を担う主体としての市民と共に歩み、市民との共同を通して自ら成長を遂げてゆくことが、公務労働者の最大の任務だともいえます。そのためには、「役場の窓越しに市民を眺める」のではなく、「地域に生きる市民の目線で役所をふりかえる」ことが大切でしょう。
 第二に、新しい公共性とそれを担う公務労働の分野を拡大し、公務労働における柔軟性・総合性・創造性を高めることです。これまで私は、「生存権・発達権など国民の基本的権利」ということをくりかえし強調しました。しかし、国民の権利の問題は日々新たな展開を示しています。公務労働が担うべき権利のないようも、ジェンダー問題、エスニシティ問題、情報プライバシー、環境権、子どもの権利等々多様な分野に広がり、また、地域的・全国的・国際的といった重層的な広がりをみせています。こうした新しい課題に取り組んでいく柔軟性、総合性、創造性が、公務労働には求められていると思います。
 第三に、新しい市民的公共性を担う公務労働の発展のためには、一方で、地域の個性と文化にねざした公務労働の役割を発揮できるような地方自治の確立が必要であり、他方で、地域を越えた都市と農村の連帯、さらに国際的な連帯を可能とするような全国的な調整システムづくりが求められます。税源移譲と課税権の拡大を優先させるとともに、ナショナル・ミニマムを保障する国の役割を明確にした柔構造型の分権的税財政システムを構築することも、地域に根差した公務労働の発展にとって重要課題の一つです。