職場のメタルヘルス問題特集 |
「職場のメンタルヘルスがとことん分かる本」から 今、仕事の質が変わり、また人員減で職場に余裕がなくなったもとで、心の病、メンタルヘルスの問題が大きな課題になっています。人ごとではありません。明日はあなたがかかってもおかしくない状況です。 さて、医師の鈴木安名さんの「職場のメンタルヘルスがとことん分かる本」から私たちに関係する内容を抜粋しました。職場で参考にしてください。 メンタルヘルスと現代 町医者の実感するメンタルヘルスの悪化 筆者は、病院の管理職をやっていますが、精神科医ではなく内科医です。かつては消化器内科専門医でしたが、いまは心療内科も診るいわば何でも屋の町医者です。さて、メンタルヘルスの話しをはじめる前にビジネスマンがどういう時に内科を受診するのかを考えてみましょう。 どれほど体がつらくても、まさか前日飲みすぎで朝吐き気があるからといって受診する人はいません。昨日夜のボーリング大会で3ゲーム投げた疲れが出て、朝起きてだるいからといって病院にいく人もいないでしょう。現代日本のごく普通のビジネスマンが平日の午前中に内科を受診せざるを得ないケースは、検診関連の検査を除けば二つしかありません。 一つは、インフルエンザのように大の男もへなへなする筋肉痛や脱力感を伴う発熱に苦しんだり、水のような下痢が1時間ごとにあるなど、我慢しようにもできない、仕事にならないほどの急性症状の場合。 もう一つは、それまでたいした病気もせず、検診にもひっかかったこともなかったのに数ヶ月で数キロ以上も痩せ、食欲不振、吐き気、胃の痛み、休んでも取れないだるさなどが慢性的に続き、素人でも消化器のガンや慢性肝炎を心配するような場合です。 後者の場合は、前者と違って出勤しても仕事にならないわけではありませんから、すべての方が病院に足を向けるわけではありません。重大な疾患であった場合の家庭や仕事に与える影響と、その日の仕事の責任とを比較して受診を判断するわけです。いわば、相対的受診のケースで、わかりやすく言い換えれば、自分のみならず上司や同僚も納得するほどの命に関わる状態と判断した場合に受診するわけです。これができないビジネスマンは、最悪過労死するのは言うまでもありません。 実は後者の理由で内科を受診する30代から40代のビジネスマンの半数近くに、うつ病をはじめとしたメンタルヘルスの悪化が関係しています。残りは過労状態であり、胃腸のガンや肝硬変などは10%未満です。大部分が異常なしか、軽い胃炎程度なのです。こういう方の多くはNUD(機能性ディスペプシア)といわれる一種の心身症、俗にいう神経性胃炎であり、その半数近くがうつ病だと推測されています。 要するに現代の内科の町医者は、筆者のように心療内科医であろうがなかろうが、メンタルヘルスの悪化に苦しむビジネスマンを日々診療しているのです。 ところが、医学の専門分化が進みすぎた弊害として、明らかなうつ病なのに、当の本人ばかりか医師自身も内科の病気だと思っているケースがざらにあります。不眠症というメンタルヘルスの悪化なのに、そうは思わず受診してきたごく普通の患者の事例を挙げてみましょう。 ある秋の日の土曜日、1週間以上たつのに風邪が治らず足腰が冷えるといって私の診察室を訪れたM氏は、スーツをびしっと着こなして一筋の髪の乱れもない、部下からの信頼が厚そうな40代の間利殖でした。診察が終わりかけた時、言いにくそうにそっと打ち明けたのです。「それから一つ、伺ってよろしいですか?実は会社から帰るのは12時過ぎで疲れているはずなのに、どうもこの頃頭が冴えて眠れない。寝付くまでに1時間もかかるんです」。患者が帰り際に付け加えることがあれば、それはとても重要な情報、と医学の教科書にはのっています。のどを診て胸の音を聴く月並みな診察が一転しました。 「この1年間、新幹線通勤です。1時近くに寝て、6時過ぎには起床。それにはもう慣れましたが……。職場にはストレスはないと思うのですが、寝不足なのか以前には考えられないようなミスをしそうになりハッとすることがあります。自分らしくなくて困っていて…」 筆者はピンときました。「帰りの車中で書類を点検したり、ビジネス書を読んだりしていませんか?」 予想通りでした。新幹線の1時間がもったないなく感じて、M氏は毎日そうしていたのです。「他の人がしているように車中ではぐったり眠るか、ボーっと音楽でも聴いているほうがいいんですよ。それにそんな働き方では良い仕事はできませんね。もうちょっと早く仕事を終えたらよいと思いますよ…」と私はアドバイスしました。 1ヶ月後。M氏は「1時間早く帰るようにして車内で仕事をするのを止めたら、おかげさまで眠れるようになりました」。M氏は通勤電車の中はもとより、布団の中まで仕事を持ち込んでいたのです。 日本のビジネスマンがうつ病になるということ もし、47歳の経理課長のあなたが検診である種の早期胃がんを発見されたとしたらとても幸運なことです。外来通院で全身の手術前検査がなされ、10日程度の入院で腹に傷をつけることなく胃カメラを通して電気メスでがんを切ってめでたく退院。1日1万円の入院手当給付金が出るし、がん保険に入っていれば数十万円程度の見舞金もでます。医学的にはありえない再発の不安を多少感じつつも、現代医学の成果をしみじみと実感し、20日そこそこで堂々と職場復帰。その日の昼食から発病前と同様に10分もかけずにカツ丼をたいらげ周囲を驚かせるはずです。同僚や部下に検診の重要性や、看護婦の仕事の超多忙さを語らなければなりませんが……。 ところが、昼休みの残りの時間、同期で親友の総務課長の不在に気づくのです。総務課に行って休業の理由を尋ねると、「課長はここ1週間自宅療養されています。胃の具合が悪くだいぶやられたそうでA病院を受診されていたのですが、良くならず…」と若い女性社員が口ごもって答える。「何!ひょっとして手術もできない末期がん?」と思いつつ、彼の身を案じ電話も入れずにあせって親友の家を訪れます。しかし、見知った顔の奥さんが玄関先でひそひそ声で言うには、「主人は実はうつ病なのです。申し訳ありません。後ほど詳しく…」。 うつ病の場合、入院をしなくとも最低1ヶ月、場合によっては数ヶ月から1年にもわたる長期間の自宅療養が必要です。幸運な場合、軽い副作用がある薬を内服しつつ精神科の外来通院ですみますが…。うつ病はビジネスマンの休業日数をがんと争っています。当然リストラの危機は訪れるし、理解ある会社であっても職場復帰そのものには時間がかかる。ここで誤解のないように言っておきますが、うつ病はがんと違って後遺症なくちゃんと治ります。しかし、がんと同様に死ぬこともある病気だということです。それは自殺という結末です。 普通の会社で普通の社員がうつ病になって3ヶ月休業したら、リストラにあわないまでもその間は傷病手当で食いつなぐわけで、入院ではないから生保の給付金は出ない(損保の休業補償は別)。めでたく職場復帰しても、はじめは半日勤務でしょうし、早期胃がんをカメラで治した(内視鏡治療)場合と違って、「俺はうつ病で休んでいてね、クスリを飲むと口が渇いて便秘になって…。その間、女房からは自殺しないよう見張られていたよ」などと吹聴はできません。運悪くメンタルヘルスの知識のない上司=会社であった場合、善意ではあるものの「楽な部署」に配置換えされた結果、1ヶ月も経たないうちに再発してしまい、今度は本当にリストラの瀬戸際になるかも知れません。しかし、これは最悪のケースではありません。うつ病になったことに自分も家族も最後まで気づかず、一気に自殺してしまう事例が少なくないからです。 メンタルヘルス悪化の仕組み 心の病気のメカニズムは、いまだに解明されていない部分がたくさん残っています。しかし、仕事との関連で病気を予防、治療するには何が大事かは、はっきりしています。ここでは、病気のメカニズムを産業医学的に解明する二つの考え方を示しました。 一つは、旧労働省の「ストレス脆弱性モデル」。もう一つは、筆者が考える「ストレス…ワーキングパワー再生産不良モデル」です。 ストレス…ワーキングパワー再生産不良モデル 長時間勤務に職場の様々なストレスが加わり、メンタルヘルスの悪化が起こるという極めて簡単な考え方です。図を参照してください。 長時間勤務が再生産のための私的時間を削りとっていくため、ワーキングパワーが擦り減り、ストレスがこれを歪めていくのです。擦り減り歪んでしまったワーキングパワーは、形も大きさも元と変わっているから、職場になじまなくなるのは当然です。 ここでワーキングパワーには、体質と成長の過程でつくられた体力や個性の部分があることを思い出してください。このモデルの場合、心の病気へのかかりやすさ、つまりき弱性は個性の部分に含まれています。ワーキングパワーの形つまり個性の部分が職場環境にうまく適応(適材適所)していれば、この個性が生かされてきますし、長時間勤務と各種のストレスが加われば適応できなくなり、心の不調を招き発病するのです。 ストレス解消は、ワーキングパワーの再生産の部分でなされます。これは自発的にやっているスポーツなどの趣味とか、医師やカウンセラーからの指導による対処技能のトレーニング(自律訓練法など)などの保健、医療活動があります。いずれにせよ仕事の最中には十分こなせないので、私的な時間におけるワーキングパワーの再生産でなされます。このモデルでは、職場のメンタルヘルスということを重視し、ワーキングパワーの再生産に関係する勤務時間と体の外にあるストレスに注目しており、治療よりも予防を中心に考えています。 ストレスとは何か 多くの方は、いわゆるストレスを職場の人間関係のあつれき、とみなしていますが、大きな認識不足です。数あるストレスの一つと考えるべきです。 ストレスには心身への悪さをもたらす面と、逆に喜びや充実感をもたらす二つの側面があります。本来、仕事の負担が何をもたらすのかといえば、苦労ばかりではない。会社に成果をもたらすだけではなくて、自らの成長が得られるし、心の面では大きな達成感、自信と誇り、自分の存在意義の確認、などのプラスの感情が生まれてくるのです。それが功績として自らのキャリアアップと自己実現につながり、結果的にハッピーとなっていたのが高度経済成長時代でした。 ところが、いつのまにか仕事の負担は、トータルに計算してみると心身と懐に負担を及ぼすマイナスになってきつつあります。30年間苦労した末に子会社に配置転換され、年収は、三割も減少。あるいは、年収は増えたかもしれないが、プライベートな時間はゼロになるほどの長時間勤務。さらに自分自身で投資したパソコンのハードやソフト、膨大な時間を換算すれば給与は以前と同じかダウン…・。 よくストレスを善玉と悪玉に分ける人がいますが、そういうものではありません。ストレスが起こす結果がどうなるかは相対的なものです。まず第1にその人の個人の要因、つまりストレスに対するもろさの度合い、体力の違いをはじめとして、経験年数や家庭環境などにより左右されます。ある人にとってはストレスであるものが、別な人にとっては生き甲斐だったり、10年前は何でもなかった交代勤務が、年を取った今は苦痛だとか。とりわけ社会生活を営む人間を保護し、ワーキングパワーをメンテナンスする家庭の状態によっても大きく左右されます。同一の仕事の負担が加わっても、そのアウトプットには個人差があるということです。 マイナス20度の冷凍庫内で勤務するとしたら、これはストレスだな、と誰もが思うのに比べて、メンタルヘルス問題における「仕事のストレス」の難しい点はここにあります。白黒をつけるようには単純に論じられないのです。以上の視点は従来の産業医学では当たり前のことでした。大事なことは仕事の負担への反応には個人差があるということ、そして、IT時代の仕事の負担は過酷ということです。 アメリカが国内でテレビを、日本が国内でTシャツを生産していた時代には、世界のどこでもビジネスマンのうつ病や不安障害は今ほど多くありませんでした。日本ではビジネスマンの仕事の負担は腰痛症や胃・十二指腸潰瘍のような身体の病気にあらわれていました。1970年代にはうつ病による過労自殺は問題になっていなかったのです。だからといって当時の仕事の負担が軽かったわけではありません。身体の病気から心への病気への移り変わりの引き金は、グローバル化とその原動力であるITにあると私は考えています。その証拠に市場経済が発展途上である諸国では職場の病気はいまだに身体疾患です。 グローバル化するメンタルヘルスの悪化 町医者や職場の視点から少しだけワールドワイドな目線に立ってみると、勤労者のメンタルヘルスの悪化は各国産業界における最重要課題の一つになっています。ILOが2000年に発表したリポート「職場のメンタルヘルス」によれば、欧州連合ではGNPの3から4%がメンタルヘルス対策に費やされ、英国ではなんと従業員の10人に3人がメンタルヘルス問題を敬謙していると言われます。IT革命のトップランナーである米国も同様です。 うつ病の治療費は毎年300から400億ドル。患者数は就業可能な成人の10人に1人に達し、年間労働損失日数は延べ2億日近くになると推計されています。もはやうつ病はごく普通の病気の一つと考えられるようになっているのです。 日本でも旧厚生省の調査によれば、精神疾患は高血圧に次いで、極ありふれた国民病となっています。98年に連合が発表した調査によっても勤労者が疲労により患う病気のトップはもはや腰痛症や胃潰瘍、十二指腸潰瘍ではなく、精神疾患という結果がはっきり示されています。 メンタルヘルスの悪化は、会社や経済界の視点からみた場合であっても、もはや放置できないところにきています。というのも、今後の日本の産業界そして個々の企業にけるリスクは、IT導入や新技術開発競争などの遅れや失敗ではなく、IT導入やリストラによって加速する従業員のメンタルヘルスの悪化と致命的事故という2大問題になるのではないかと思われるからです。 メンタルヘルスの悪化は、@生産性の低下、A休業と退職による技術や経験の不継承、B治療費、職場復帰に関わる費用などのコスト増、C労災認定や裁判による信用の失墜、など直接、間接に企業収益に悪化をもたらします。さらに従業員のメタルヘルス悪化が引き金になって、@製品の欠陥にもとづく大事故、A発電所、プラントなどででの操業過程の事故や汚染、B医療や福祉など対人サービス業における事故、などが発生する危険があるのです。これらは企業の致命傷になりかねないため、リスクマネージメントが大流行しているほどです。 メタルヘルス悪化の誤解こう書いてくると読者の多くは「うつ病になったら大変だし、職場のメンタルヘルスが問題ということはわかった、さあうつ病の人を見分けるノウハウを教えてくれ」とくるでしょう。自分がうつ病になるとは夢にも思わずに…。 しかし、この本はこれからうつ病になるかも知れない、あるいはもうなっているかも知れないビジネスマン、OLの皆さんにぜひ読んでもらいたいのです。むろん、こうした本を買って読む方は、前向きで仕事熱心、知識欲も旺盛で程度の差はあれ、職場や労組で活躍しているはずです。そんな方は自分がうつ病になることなど思いもよらないことでしょう。 ところが、現実は全く逆なのです。そうした皆さんこそ、うつ病をはじめとした心の病気や不調に陥りやすいのです。 ここで簡単なセルフチチェックをしてみましょう。 □普通の風邪ぐらいでは休まない程度のガッツがある方 □コツコツと手抜きせずに仕事をして、上司や同僚から信頼の厚い方 □仕事上の約束を破ったり、他人に迷惑をかけるのが嫌いな方 □付き合いを大事にし、職場の飲み会では場を盛り上げる方 いかがでしたか?二つ以上あてはまれば立派なうつ病候補生です。 メンタルヘルスは様々に誤解されて語られることが少なくありません。例えば、「うつ病などは心の弱い人がなる病気だ」「うつ病になった人は、落ち込んで見える」「精神病になれば仕事の能力を失う」。この三つの中で間違った記述はどれでしょうか。実は三つともすべて誤り。いかにメンタルヘルスに関する誤った知識が流布されているか、ご理解いただけるでしょうか。 心の病は「自己責任」か? 現代日本のビジネスマンの多くは、通勤時間を含めると1日の半分近くを業務上の時間として消費しています。例えば、NHK放送文化研究所の「2000年国民生活調査」によれば、1日10時間以上働く勤労者の割合は21%と5人に1人。5年前の調査に比べて4ポイント増加しています。とりわけ、経営者・管理職のグループでは1日10時間以上働いている人の割合が27%とずばぬけて高いのが特徴です。こうした労働時間に通勤時間を加味して考えると、睡眠時間(平日平均で7時間23分)を除いた私的時間は1日4時間程度、1日の中わずか10数%にすぎません。 これだけ私的な時間が不足していては、本来自己責任であるべき健康維持のためのスポーツやリラクゼーションでストレス解消をしようとしてもとても無理です。従って、こうした働き方をしている方々が仕事のストレスから心の病になったとしたら、それはその人の本人の責任ではないのは言うまでもありません。 ところが現実は、メンタルヘルス悪化の責任は誰が負っているのか、別な表現をすれば、誰が治療のコストを払っているのかといえば、少数の例外を除いて本人=自己責任となっています。例えば、長時間のサービス残業、上司の言葉の暴力などがあって、うつ病を発症した方が、労災を申請したとしても、「過労自殺」というケース以外ほぼ間違いなく「私病」扱い。つまり健康保険を使った治療となります。 これは心の病に対する会社の認識、労災認定を行う本家の厚生労働省の認識だけが問題なのではありません。実は、病気になったビジネスマン本人も、病気を自分の責任にしてしまいがちなのです。本当は長時間の勤務でメンタルヘルスが悪化し、体の不調が起きているのに「病気のせいで、仕事についていけない。みんなに迷惑をかけてしまう。健康管理を怠った自分が悪い」と思ってしまう。原因と結果を逆立ちして考えてしまうわけです。 この逆立ちした認識を正常な認識にもう一度ひっくり返すところから、職場のメンタルヘルス対策の第一歩が始まります。 職場とストレス マクロの職場ストレス 昨年10月にILOが発表した「職場のメンタルヘルス」のフィンランド版には、失業と不安定雇用が大きなストレスであったことが明記されています。フィンランドのみならず先進国は過去10年間で、経済のグローバル化という大変動を経験しました。大企業の工場は賃金の安いアジアなど途上国へと移っていき、国内の職場においても、正規職員はパートやアルバイトという不安定雇用に置き換えられていきました。この現象は洋の東西を問いません。 日本では人件費の高い中高年社員がリストラの対象となり、いまや再就職も難しい現実です。最近の傾向として交代勤務を組むよりも、パートに長時間勤務をさせるほうが安上がりで、労働力の供給が「ジャスト・イン・タイム」になることからパートの長時間就業(言葉の矛盾)が増えています。この方法ならベテラン正社員のおよそ5分の1の人件費となり会社の収益力は格段にアップします。 経済構造の変化に伴うこれらの雇用・人事の不安定化が目に見えないストレスの背後に潜んでいます。 ストレスの背後にあるもの @失業と不安定雇用 A身分社会化する日本の会社 Bスタッフのマネジメント…正社員は、固有の業務に加えて、管理職でもないのに、技術教育、点検・監視・管理、多数の同時並行業務などをする責任がある。 C分社、子会社化など企業再編 D異職種配転 E長期の出張、単身赴任 F交代勤務、変形労働時間制 G成果主義賃金 H乏しいセーフティネット ミクロの職場ストレス マクロの職場ストレスが、どの企業のどんな職場に勤めるビジネスマンにとっても、ある程度共通する問題であるのに対し、ミクロの職場ストレスは、その職場独自のストレスともいうべきものです。従って、その形は千差万別です。ここではその代表的なものをあげておきましょう。 不適切な指示命令 これには、次のようなものがあります。 @上司と部下の間での不適切な指示、命令…原理的に不可能なプロジェクトを求められた場合など A組織、機構図があいまい…船頭が複数いるような職場組織の場合 具体的な業務に関わるストレスはそれこそ星の数ほどありますが、「ミッション(任務)の内容」「組織図」「責任と権限」などが不明確である場合、部下は大きなストレスをこうむります。 48床の内科専門病院の医事課外来主任のYさん(27歳、女性)は、上司の医事課長からかなり難しいプロジェクトを言い渡されました。上司とはいってもオーナーの院長の甥で、昨年まで私大経済学部の講師をしていた人物。どの病院も待ち時間はサービス面での死活課題の一つです。「Y君、うちの病院は患者のためにジャスト・イン・タイムを目指したいので、何としてでも待ち時間を限りなくゼロにするプロジェクトを君に任せたい。できるだけ早く頼むよ。資料はコレ(といって、開業医向けの病院経営書を何冊か示す)読んどいて」 Yさんは当惑しました。その病院では、糖尿病専門医として地域では大きな実績をもつ院長が、外来患者の過半数を診ていたのです。ジャスト・イン・タイムにするためには、歯科医院のように時間ごと、たとえば1人8分に区切った完全予約制が必要なのです。これは原則として予約以外の患者は診ないということ。けれどこの仕組みをとった場合、受付時間内に来た患者は必ずその日に診るという院長の診療スタイルと矛盾します。(原理的に不可能なミッション) 院長は医学一筋の人物で、間接部門は全面的に甥に任せているのに、甥は自分の構想の実現を部下のYさんに丸投げしている(責任が不明確)。予約制をもし採用するなら院長と直接討論する権限があるのか分からない(権限が不明確)。進捗状況をいつまでに誰に報告するのか明示されていない不明確さ(課長だけか、課長と院長の両者か?不明確な組織機構)。 2週間の間、考えをめぐらせたYさんは課長に、「そういうことを実行するのは無理です」と報告しましたが、「何を言っているのだ、不可能に挑戦するのがビジネスだろ、患者に尽くす心だろう。大きなところをみなけりゃダメだ。待ち時間ゼロで有名な○×記念病院へ1週間研修に行ってこい」。○×記念病院は完全予約制を実施して、Yさんの病院より高度なレベルで、隣の県で第2の都市の中核病院でした。そんな大病院をみても役に立たないことは明瞭でしたが、課長に申し出る雰囲気ではないし、その勇気もありませんでした。彼女はやがて不眠症に悩まされるようになりました。その上、長く付き合ってきて職場の愚痴を聞いてもらっていた彼氏が遠方へ転勤になり、恋愛にも隙間風が吹いてきたのです。課長とすれ違いの議論が続いた4ヶ月後、彼女は睡眠薬を飲みすぎて救急病院に運ばれてしまいました。 任務をもっとも明確に提示する組織といえば、軍隊です。映画で上官が作戦の構想、目的、方法、ミスへの対策など、しつこいくらいに部下に説明するシーンがあります。一流企業では事例のようなことは少ないでしょうが、組織機構が不明確で船頭が複数の事態は、会社の吸収、合併ではよくあることなので注意が必要です。 パフォーマンス至上主義 その支店はここ数年、定年をあと4年となったホトケ様とあだ名される事なかれ支店長に率いられていました。社員は、4年連続どん底の業績で、ビッグバンという台風に襲われたのに、まるでその目の中にずっといるかのようなのどかな気分。しかし任期途中で「ホトケ様」は子会社へ出向。やり手と評判の支店長が新たに赴任してきました。彼の弁舌、説得術は歴代所長の群を抜いていました。売り上げ目標を自己申告する際、実績のある社員は上手におだてあげ、そうでない社員には説得と泣き落とし。とはいえ、部下の心を把握するための気配りは誰しもが認めるものでした。彼が赴任して1年目の支店の売り上げ増はプラス40%で、その業界では特異といえたほど。社長から表彰状と1万円相当のテレカが渡され、所長の自腹を切ってのパーティーも催されました。その場の雰囲気もあったのでしょうが、皆目を輝かせて大幅にアップした新年度目標を申告したのです。 ところが2年目の6月を過ぎた頃から、支店長の社員に向ける目つきが変わってきました。 あるときは射るような、ねめつけるような、非難がましいような悪意のある視線をあびせる。その上、面談での罵倒の仕方がすさまじい。顔を真っ青にして支店長室出てくる社員が続出していました。社員の間では、「あの罵倒の後で、あの視線、よくできるものだ。必至の努力で達成しかかれば上乗せされる。申告した目標が途中で変わるなんて、禁じ手だよな!」とひそひそ声が囁かれます。次第に支社全体の成果は低下していき、顧客からのクレームが続出するようになりました。そのことがさらに支店長の逆鱗に触れることになり、秋口には胃の痛みと吐き気で胃カメラを受ける社員が20人中3人も出る始末です。結局、次の年、支店長は本社に戻されました。すると支店の業績は前年どころかかつてのどん底に戻ってしまいました。しかし気がつけば胃薬は不要になっていたのです。 すでに述べたようにワーキングパワーには限りがあって、この限界を超えた期間が続くと消耗が起こり生産性は逆に低下します。もちろん人間は機械と違って、柔軟性をもった生き物で、適応力に富んでいますから、上司からの無理難題であってもたいていはこなしてしまう。だから経営者の中には社員の可能性は無限であると勘違いする人もいるのです。可能性が現実性に進むには多くの高いハードルがあることを見落とし、能力の限界を考えず、社員に飛び続けることを求めてしまう。そして人間の能力には個人差があることを忘れ、トップクラスの人間の成績をすべて社員に求めてしまう。 けれども人間の柔軟性は無限ではありません。業種によっては全力疾走は半期あるいは1年程度なら続くかも知れませんが、限度を超えればワーキングパワーの再生産が追いつかず、生産性は落ちるし病気やミスも出てくる。社員のメンタルヘルス度も悪化します。これを上司がなじれば、社員の間からの反発が起きるのも当然。チンパンジーに対して、ジャンプをすれば手が届く高さにバナナをぶら下げ、この高さを次第にアップしていくと、跳躍力の限界までは必死に努力しますが、それを明らかに超えた段階では、バナナに見向きもしなくなるといいます。社員にパフォーマンスばかり求めていけばこうなります。 病的な労務管理 @言葉の暴力、メンタル・ハラスメント(造語) 前出の支店長は、支店社員に対し次のように激を飛ばしていました。 「週4件売れないような奴は、役立たずの給料詐欺師だ。そんな奴は会社に不要だ。このビルの屋上の北側の柵は、ポロッと外れることを知っているか?今度から月間目標を達成できない連中は皆、北側の柵のところで誓わせるぞ。こんなしんどいことを言うのもお前らを思ってこそだ!いいか、屋上から飛び降りる覚悟で達成しろよ」 私は職場内でのこうした暴力的な言動を、セクシュアル・ハラスメントをもじって「メンタル・ハラスメント」とよんでいます。アメリカならこういう上司の言動で、うつ病を発症し就業不能になったり、自殺をしてしまったら、家族から訴訟を起こされ会社や上司は損害賠償をする羽目になるのは確実です。 スポーツの世界でも、並外れたプレッシャーは、選手に本来の力を出させてくれません。言葉ではあっても暴力は恐怖と不安、自尊心の喪失、無力感を生み出します。これは人権の立場だけでなく、生産性の面からいっても禁じ手すなわちドーピングです。目先は成果を上げることがあるかもしれませんが、長期的には論外です。 Aセクハラ これは職場の「病理現象」であると同時に犯罪です。言うまでもなく、被害を受けた社員にとって大きなストレスになります。 B いじめ、いびり 心に傷をつける行為で組織的なものには、社員の中で行われる「いじめ」と会社が社員に対して行う「いびり」の二種類があります。これには社風が関係しています。 終身雇用により新人時代から老後まで面倒をみてくれたかつての日本企業のあり方は、パターナリズム(父親的)と呼ばれましたが、最近次のような事例が増えています。 Z電機では、メンテナンスをもっぱらとする子会社を作り、そこにリストラを拒否した「余剰人員」を配転。給料は変わりませんが、営業をやっていた社員が造園業ならぬ草刈りをもっぱらとし、総務課社員が中庭のベンチのペンキ塗り替えをしているそうです。その上仕事がまずければ上司に罵倒される。要するに会社にはもう不要となった古参の社員の自尊心を傷つけ、自発的な退職を促すというものです。元の職場も大変です。要員が減ったため仕事がはきつくなり、成果主義の導入でモラルは低下。工場では窓ガラスが汚れていても、誰も拭く人がいなくなったといいます。 失業は市場経済では避けられない現象です。悪だの欠点だのというものではありません。これによって企業に必要な人材の再配分も行われるのです。しかし、勤労者にとってみれば、失業は「社会的な死」というべきもの。だから、雇用を切るリストラは最小限であるべきだし、方法も十分考えるべきなのです。Z電機のようなやり方は、表は雇用確保という温情を見せるけれど、その心はお前は不要!というもの。これはまるで姑の陰湿な嫁いびりです。父権の会社から姑的会社への変貌です。 このような「いびり」は出ていく社員と残された社員の両者の心に深い傷をつけ、不信感を植え付けるのです。 職場のストレスから派生してくるもの 職場のストレスの種類が多くなり強くなると、働く人の心に複雑な影響を与え、その結果がまた新たなストレスとなって襲いかかってくることがあります。 頽廃という歪んだストレス対処 名前が現代風にかわって、違うもののように思えるけれど、本質は同じなのが「援助交際」という名の売買春。「ギャンブル」という名の博打。「アルコール依存症」という名のアル中。最近では買い物依存症という病気も増えています。 マゾヒストでもない限り、人間はストレスに打ちひしがれていられません。あたたかい家庭でワーキングパワーを再生産したり、対処能力を発揮してストレスをかわしたり乗り越えたりしていくのです。けれどこういう正道を通らずに、手軽に脳の中に快感ホルモンを発生させ、一時的にストレスを忘れる方法があるのです。なぜ、酒を飲むかといえば、いい気分になりたいから。なぜセックスをするのかといえば子孫を増やそうとの義務感からではなく、とても気持ちがいいから。ギャンブルは闘争心を手っ取り早く満たしてくれます。 しかし、いずれもノーマルな範囲を逸脱すれば、しらふの現実、性病や家庭の崩壊、激しい二日酔い、借金という新たなストレスが襲ってくるのです。教師や警察官、役所の職員など立派な公務員が援助交際で検挙されるのは新聞紙面では日常茶飯です。今や高校生の1%が覚醒剤や大麻などの薬物を経験しているし、働く人の数%はアルコール依存症。飲む、打つ、買うというこの現象は、市場経済社会の古今東西の文学作品に紹介されています。 公私の別なき社会 世界的に勤務時間とプライベートな時間との境界がぼやけてきています。今や新製品の技術試験もパソコン上のシミュレーションによってできるので、自宅の高性能パソコンでも仕事ができます。筆者自身、病院の経営管理にかかわる構想や方針を夜更けにパソコンで書いています。そして病院にメールで送るのです。医療界にも大競争の流れがひしひしと及んで、自己や院内感染に関わる安全性の問題、カルテ開示など日々論議すべき大テーマが目白押しです。夜の10時に帰宅しパソコンを立ち上げ、研究者仲間からのメールをチェックし、医療関係のメールマガジンにさっと目を通す。「おっとこのくすり副作用がヤバイぞ!」などと呟き、今朝新聞を開かなかったことを思い出し、ネット上で配信されるニュースの一覧に目を通す。 さて、帰宅後のこうした時間はいったい私的時間か仕事時間か、どっちでしょう?別にパソコンを使わなくても、風呂やベットの中で明日の会議のことを考え続ければ、頭の中の境界も公に押されて、医者のくせしてよく眠れなくなり、清酒の寝酒に頼る破目に。結局、新幹線通勤のM氏と同じだと気づいてはっとする。 私的なプライベートな時間と仕事との区別がなくなり。「24時間働いています」状態になった結果は、いうまでもなくワーキングパワーの再生産不足=メンタルヘルスの悪化となってあなたに戻ってくるのです。 職場のメンタルヘルス 一人の発病は職場の赤信号 職場における心の病気は、ワーキングパワーの消耗を土台にストレスが加わって起こるものです。長時間勤務はワーキングパワーを枯渇させる最大の原因で、これにマクロとミクロのストレスが加わりメンタルヘルスの悪化がはじまるのです。ミクロのストレスには職場の人間関係の葛藤、不適切な上司の命令、個人の裁量が乏しい目標申告などがあります。だからうつ病やパニック障害などの病気が一人でも発病すれば、それは職場のマクロ・ミクロのストレス濃度が限界を超えたことを意味するのです。逆に職場復帰したうつ病患者が、再発せず一定ののパフォーマンスを発揮できる職場になれば、その職場の心の健康度が増したといえます。 組織レベルでの予防という骨太の対策 もちろん発病しやすさには個人差があって、うつ病の場合、優等生・良い子タイプという性格傾向が基盤にあります。といってもこの性格を根本から変えるわけにはいきません。またこうした性格の従業員も、会社、職場にはなくてはならない人材なのです。 よく管理職向けのメンタルヘルスの講習会で、「仕事で無理をするな、オーバーワークを避けろ」「力を抜いてほどほどに」などと講師が言う場合があります。こういう気休め的な指導は無意味です。なぜかというとうつ病になり易い優等生・良い子タイプの人物にこういうことを求めても無理だし、さらに自らが経営的な立場に立って仕事を進めている日本の多くのビジネスマンにとっては、モラルに反する行動だからです。 管理職の講習会で、うつ病や自殺のリスクのある注意すべき社員のチェック項目が、マニュアルをもとに詳しく解説され、「こうした部下には精神科やカウンセラーの受診を勧めろ」などと指導される。シミュレーション・トレーニングまでやるセミナーもあります。こういう対策は自殺が多い事業所で、リスクマネジメントの一環としてなされるようです。まるで精神科医やカウンセラーになれといわんばかりです。もちろん、やること自体悪くありませんが…。しかし、仮に企業内の診療所に常勤の精神科医を配置したところで、会社や職場のメンタルヘルスは改善しないのです。 病気のリスクのある人や病人を早期発見・早期治療をするということは、確かにその個人にとってはメリットです。しかし、職場や会社の健康度を改善し、ストレス濃度を下げない限り、新たな「心の病」の発病者が次から次へと生まれることになりかねません。つまり個人の健康を後追いする対策は賽の河原の石積みや、もぐらたたきゲームのようなものです。 従来のメンタルヘルス対策に関する類書をみると医学的には優れていても、ほとんどが個人レベルでの対策を求める内容でした。ここにメスを入れないで、対策の主体を個々の社員の自己管理に求めるのは、組織とは何か、会社とは何かが解っていない理想論です。 生産性本部のメンタル・ヘルス研究所はその活動理念の一つとして「個人の健康を第一にするとしても、組織の健康を伴わない個人の健康はまれにしか実現しない。そして、組織も十分に機能するためには、個人の健康を要求している」とうたっています。メンタルヘルスに対する組織的な対応が、労使の双方に何よりも求められているのです。 対策の担い手は誰? もしもメンタルヘルス対策ではなく、これが職場のエイズ対策ならば、「性行為の際はコンドームをしましょう!」と職場で大々的び啓蒙することは、会社や職場の人事労務管理と矛盾しないため楽です。ところが、前に説明した職場内のさまざまなマクロのストレスは、最大利潤追求のための人事労務管理の副作用です。市場経済である以上、事業の目的は最大利潤の追求で、これ自体は良いとか悪いとかの道徳論では律しきれません。経営者や当局の立場からするとメンタルヘルス対策が人事労務管理の「手直し」につながり、めざす生産性向上の妨げになることだけは避けたいわけです。しかし、行き過ぎたリストラや成果主義などの人事労務管理と賃金政策がビジネスマンのメンタルヘルスを悪化させているのは厳然たる事実で、逆に生産性を低下させるものです。 結局マクロのストレス対策は経済政策的な性質を持っており、個々のビジネスマンのレベルではとうてい対処できない組織レベルのテーマです。もちろん、最大利潤の追求という経営サイドの発想だけでは、生産性の向上というアクセルを踏み続けるだけで解決への道筋は見つけられません。従って、その解決には労働組合のパートナー的な役割が不可欠。雇用、賃金、労働条件など組合員の生活を守るさまざまな取り組みの延長として、組合員を「心の病」から守っていくための安全対策が求められています。 メンタルヘルス対策の経済効果 マクロのストレス対策にせよ、ミクロのストレス対策にせよ、いったい誰がそのコストを支払うべきなのでしょう。 「職場での従業員のメンタルヘルスの悪化は、そもそも事業活動によって生じるものであるから、花粉症や高血圧症とは違って、当然会社の支払だろう」と考えるのが一番素直です。 しかし、こう心配する立場の人もいるでしょう。「メンタルヘルス対策費は会社の収益を圧迫するから極力節約すべきだ」。一見すると、最もな意見ですが、実際のデータ分析結果は違うのです。中央労働災害防止協会のリポートによれば、企業における安全に係わる費用対効果比はなんと1対2.7にも及びます。つまり、安全対策にかけた費用の2.7倍の経済効果があるのです。具体的には、「生産性向上効果」「製品の品質向上効果」「早退、遅刻、欠勤、疾病罹患率減少効果」などが確認されます。 メンタルヘルス対策そのものには当てはめられないとしても、労使とも注目すべきデータです。メンタルヘルス対策による生産性向上の例として、メンタル・ヘルス研究所所長の小田晋・帝塚山学院大学教授が指摘していますが、ある民間企業の研究所で「自律訓練法」(心のラジオ体操)を実施したところ、1年後、特許の出願件数が倍加したそうです。今後、モノづくりの現場が海外になり、製造業として立国した日本としては、研究、構想、開発という高度な分野が主力を担うはずです。働く一人ひとりの社員が心身ともに健康でなけらば、競争に打ち勝っていけるはずがありません。情報通信分野は、さらなる技術革新が求められているため、製造業以上に健全なる肉体に宿る健全なる精神の優れた労働力が求められるのです。また、金融、保険、流通、医療、福祉という対人、対法人のサービス業では、従業員の精神状態が商品の内容に直接影響します。残念ながらこれらの業種では、メンタルヘルスの悪化が進行しています。 職場で発病した精神疾患のほとんどすべてが健康保険で治療されていることを考えれば、メンタルヘルス対策は健保財政の健全化にも貢献します。さらに発病した患者の家族に及ぼす効果を考えると、2次、3次の経済的な波及効果があるはずです。たとえば父親や母親がうつ病で長期休業し、退職を余儀なくされた結果、子どもは大学進学をあきらめ、その上その子のメンタルヘルスも悪化した、などの事態が回避されれば、無駄な医療費の支出がなくなり、教育産業への経済効果も生じるわけです。 産業界、あるいは国家的なレベルでメンタルヘルス対策に相当の予算を投じれば、その見返りは極めて大きく、21世紀の日本を支える結果に結びつくと思います。逆に21世紀も長時間労働が常態化し、ストレスの多い単身赴任、子会社配転、従業員の身分社会化が進行すれば、日本国民は質の悪い労働力となり、国力も低下していくのではないでしょうか。欧米の優良企業がこぞってメンタルヘルス対策に金と心を注ぐのは、まさにこの点にあるのです。 |