パワーハラスメントとメンタルケア
以下の内容は、「パワーハラスメントの衝撃」(金子雅臣著、都政新報社)より抜粋したものです

相談やヒアリングをする場合には、被害者や加害者とされている人たちの心理的な面を十分配慮してあたることが大切である。それぞれの立場にある人たちの心理状況に十分な配慮をするということは本人たちのためでなく、問題解決に対しても重要なポイントになるからである。
以下、相談者(被害者)やヒアリング対象者(加害者など)の置かれた心理状況について考えてみる。
1、 パワーハラスメントとメンタルケア
いじめの問題つきものといっていいのが、いじめによるストレスから精神的問題を被害者が抱えてしまうケースである。こうした場合の対応については格段の注意が必要となる。行政の扱ったケースで見ておく。

事例1同僚の嫌がらせ事件で退職に
相談者Aは、学校を卒業してすぐ現在の会社に就職した。Aは、「入社半年後に同期の友人が同僚の男性から嫌がらせを受ける事件が起き、会社側もその男性を転勤させるという措置を取った。しかし、その事件の際に自分が会社の対応を批判したことが原因で同僚たちから距離を置かれるようになった。その結果、仕事にも支障を生じるようになり、心身症のような状態が現れるようになった。この後、会社に長期休暇を申し出たところ翻意を促され、転勤を打診されたので、それに応じた。仕事は量も質も楽になるという話であったが、実際に転勤してみると、社員の一人が退職した直後で仕事の負担が一挙に増えた。そのため他の社員の派遣を要請したところ、派遣されてきたのは前の職場にいたBであった。彼は前年の事件の加害者の男性と親しく、以前の事情をよく知っている人だった。これは会社側の意図的な嫌がらせとしか思えない」として相談に訪れた。
一方、会社によると、「Bの転勤は、自宅がこの営業所に近いことと以前勤務していたこともあって仕事にも精通していることが理由で他意はない。Bについて、Aは誤解をしているようだ。仕事についてはAに負担がかからないように改善に努めたつもりだ」とのことであった。
両者の話し合いの結果、Aは一度納得し、二日間休みを取った後で出勤したが、その後は出勤することなく、会社に出向き退職届を提出した旨、会社から報告があった。

事例2上司がリストラされていく中、不安で出社恐怖症になりかける
勤めている会社の経営危機を知り、みずから求職活動をして業績のいい会社に転職する。しかし、入社当時から指導してくれていた先輩がいじめにあい、いつ自分もいじめのターゲットにされるか分からないと不安になる。配置転換後は、ボーナスが下がったことでショックを受け、絶えず上司からにらまれているような気がする。また上司らのリストラが始まっていて、職場の雰囲気も険悪になり落ち着かなくなる。そんな中、容姿について馬鹿にされ、またプライバシーの侵害になるようなことを噂されているようで、出社するのがつらくなる。会社都合で退職させてもらいたいと来所する。
相談しながら、今までのそれらの経緯を丁寧に見直すと、不安が先走り焦って行動している自分に気づき、被害妄想になっていたかもしれないと思えてくる。気持ちに余裕が出てきて、会社からリストラを言い渡されたわけでもないのに、早まって辞めることはないと職場にとどまる気になる。

事例3仕事にのめり込みすぎて、擦り切れる

2年前に同僚が突然解雇され、強いショックを受けて精神的に不安になる。それ以来、自分も解雇されないようにと力んで、休みの日まで働くなど次第に仕事にのめり込むようになる。自分がいないと仕事がだめになると思い上がるようになり一生懸命働くが、周囲は迷惑だったらしい。
ここ半年は、周りの人に対する不信感も強くなり孤立していた。職場にいづらくなってきたときに解雇される。
手帳に予定を書くことがないのが不安で、職を探しているが、自分が何をしたらいいか分からない。雇ってくれそうなところもあるが、どうもやる気が起きない。これからどういう仕事につけばいいのか分からないと相談に来所する。
本当は一ヶ月くらいのんびりしていたいが、今までそういう経験がないので、のんびりすると働く意欲がなくなってしまいそうで不安になる。最初は仕事探しをしていたが、仕事に全部のエネルギーをつぎ込んで、仕事と心中しかけていた自分に気づき、心が擦り切れてしまっている状態であることを徐々に受け入れる。このまま就職しても仕事を続けられそうもないと自ら判断し、しばらくのんびりすることに決める。

いずれのケースも東京都の「心の相談」の窓口で対応されたものである。こうしたメンタルな問題を抱えた被害者の対応について、以下では考えてみることにする。

2、 被害者(相談者)の心理
被害を受けたと訴えてくる人たちはさまざまである。相手に対する強い怒りを抱いている人。相手の言動を理解できずに混乱している人。そして、被害に深く傷ついて、屈辱感がいっぱいで自分の気持ちが整理できずにやってくる人などがいる。
一般的に言えば、被害者の多くは精神的に不安定な状態にあると考えられる。怒り、悲しみを抱え、屈辱感、悔しさ、自責、無力感などさまざまな感情が入り乱れている。だから、相談の場面ではどのような感情が表出されてくるのか、まったく予想がつかない。
したがって、その混乱は相談の場面での言動にもストレートに現れてくることになりがちである。具体的には、加害者を責め、怒りの気持ちが強く現れたかと思えば、次の瞬間は怒りの矛先が組織や助けてくれなかった周りの人に向けられたりもする。さらに、やはり自分に非があったのではないかと自分を責めるような気持ちになることもある。
まず、心理的な解決に向けてのサポートをしないと、本当の解決の道を見出すことはできないし、解決には結びつかないというのがいじめ問題の大きな特徴といえる。そのためには、被害者が相談対応者に対して、何を求めているのかという結論を聞く前に、まずは相手の気持ちを整理するよう援助するという姿勢が大切である。

3、 加害者とされる人の心理
パワーハラスメントの被害者(相談者)の心理で触れてきたことの多くは、加害者とされる人の場合にも当てはまる。加害者とされている人は自ら好んで相談に訪れるわけではなく、訴えに関連して呼び出されるという形でヒアリングを受けるわけだから、多少の抵抗感があるのは当然である。したがって、疑いをかけられているということに対する心理的な動揺はもちろん、場合によっては大きな抵抗感や反感をもってやってくる。
一般的にはいじめで訴えられたということで、事実の有無は別としても相当なショックを受けている。

4、 相談にあたって留意すべきこと

●被害者編
相談担当者は、相手の置かれた状況を正確にとらえることから始める。相談を受ける際には、相手からいろいろな感情が出てくる可能性があるという広い心で臨む。どのような相手の感情の動きも、相談者の置かれた立場がそうさせているんだという可能性を考慮して判断する。
被害者相談の際に一番重要なポイントは、相手の気持ちを理解してあげるということである。相手の態度や話をまるごと受け入れようとする受容の気持ちが大切になる。受容するということは、話や気持ちを真摯に聞くということである。分かりづらい話や、あまり聞きたいと思われない話、どうにもならない話、怒りのこもった混乱した話などでも真摯に聞くということでもある。
相談というシチュエーションは、どうしても第三者が聞くというスタンスになることが多く、そうした雰囲気の相談担当者に対して、被害者は、「この人に話しても、果たして理解してもらえるのだろうか」と思いがちとなる。
こうした違和感(立場や上下関係、性別など)を超えて相手を受け止めることのできる立場になることが大切になる。被害者の中には、「いろいろと相談したが、誰にも自分の気持ちを理解してもらえなかった」ということを訴える人が数多くいる。そして、そのことの方が、パワーハラスメントを受けたこと自体よりもさらにつらかったという人もいるくらいである。
被害者それぞれの感情に合わせて、少しでも自らが共感できるように相談を受けることが大切である。しかし共感するあまり相手のペースにすべて合わせてしまって、被害者の心の動きに翻弄されてしまっては相談はうまくいかない。被害者の気持ちに共感し、理解しながらも相手の態度や気持ちの変化を客観的に見ていく立場を持ち続けることが大切である。
性的な問題が絡むときは、一般的には異性に話すよりも同性の方が理解してもらいやすいが、逆の場合もあることも考慮にいれる必要がある。同じ状況のことが起こっても、ある女性は非常に深く傷つくが、別の女性にはたいしたことがないと感じる場合もあるからだ。同性の相談員の対応いかんで、「同じ女性なのになぜ理解してもらえないのか」ということで逆に大きな苦しみを抱えてしまう女性もいる。
人はみな自分の価値観で判断し勝ちであるので、それぞれの価値観と深く関わるセクハラ問題などが絡むパワーハラスメントはなかなか他人には理解されにくい。こうした状況が心理面に与える影響をよく考えて、第一の目標を「相手の気持ちを理解してあげること」に絞ると心理面でよい結果をもたらす。
二番目には、相手が話す言葉を理解するだけではなく、その背後にある気持ちを能動的に聞き、積極的に理解しようとする気持ちが大切である。つまり相手の話によく耳を傾け、言葉になっていないことでも相手の言わんとすることを一生懸命に理解する。
自分の価値観で「ああしたほうがいい」とか「こうしたほうがいい」という提案をするのではなく、黙って聞くということの効果は大きい。信頼感や連帯感を生み出すからだ。
相談をしたり、訴えたりする人の立場からすれば、訴えていることを理解してもらうことはもちろんだが、その背景にある自分の気持ちを理解してほしいものである。

●加害者編
加害者といっても誤解から生じたトラブルの加害者であるかもしれないし、被害者が独り合点して訴えた場合も有り得ることから、ニュートラルな立場で臨むといったスタンスが必要になる。
パワーハラスメントについては、往々にして加害者と被害者の認識に大きなギャップがあることから、その点を考慮して相談にあたる。まず話を聞いてみなければパワーハラスメントかどうか野判断はできないということを十分に認識し、いきなり加害者扱いをしないようにする。
相談対応者がどういった考えなのかは、加害者とされる人にも敏感に伝わる。そこで、初めから「この人は何と説明しようが、いじめをしているに間違いない」と決め付けて、加害者扱いをするということは望ましいことではない。
そのような扱いをすれば、ヒアリング自体意味をなさなくなってしまうし、相手から反感をもたれ、必要なことを聞くことができないで終わってしまう。
ショックを受けている加害者とされる人の気持ちにも、被害者と同様に共感しながら話しを聞くようにするほうがうまくいく場合が多い。なるべく中立的な立場で、客観的な態度を保ち続けながらもきちんと相手の気持ちに共感していけば、真実や自分の気持ちを率直に話してくれる可能性が高くなる。
本人は、パワーハラスメント行為を行っているという自覚がないケースや、実際にやっていないというケースでは、加害者とされる人の立場は複雑である。
訴えられたという事実だけから、周囲の偏見が生まれ、言い訳がなかなか信用してもらえない状況になりがちである。こうした中では、無実であることや誤解であるということがなかなか周囲には理解してもらえないことも多い。
パワーハラスメントを訴えられている人も被害を受けている人と同様、非常につらい気持ちを抱えていると考えておく。相談担当者は彼らの気持ちをしっかりと理解するためには、いずれの相談者に共感する気持ちが必要だ。

5、 心理ケアを必要とする場合
相談者の中には、心理的なケアを必要とする人もいる。情緒が不安定で、たとえば「死んでしまいたい」などというような訴えが繰り返されるようであれば、心理面でのケアが必要といえる。その場合には、カウンセラーや精神科医への橋渡しを早急に検討しなければならない。
手順としては、「あなた自身が不安で不安でたまらないなどということはありませんか」などと話しかけ、心理ケアについて話し合ってみる。そして、心理ケアに対する相手の抵抗感を少しでも減らすようにする。そして、相手が心理ケアに同意したら、できれば相談員の側が心理ケアの手配をしてあげるとよい。
直接的に「死にたい」などという発言をしないとしても、「何もやる気がしない」という無気力感や、「いつもおびえている」などというような不安定で心理的な傾向が訴えられた場合にも同じである。そうした傾向の訴えが出てきた場合には、それもSOSの信号だと考えてもよい
そのように定型的なパターンではなくとも相談をしていて何か違和感を感じたり、通常とは違う精神状態を感じることがあったら専門家に相談するといい。いずれにせよ、そうした少し通常とは異なる言動は、ある種のサインと考えておくくらいの方が確実である。
(1) 専門家と相談
相談対応者がとても自分の手に負えないと思ったら、一刻も早く心理的なサポートをしてくれる専門機関などへの橋渡しを検討することが必要である。とはいえ、専門家による心理ケアといっても、残念ながら特効薬があるわけではない。そうした治療を受ける中で、被害者が安心感から自分の気持ちが整理されていくことが望ましい。
うつ病など病気の領域に入ってしまっている場合は、投薬などの専門的な対応が行われる。それ以外の場合はカウンセリングによって時間をかけて、少しでも気持ちが楽になってもらえるように持っていくというやり方がほとんどである。
精神科の医師や臨床心理士などによる心理サポートが、すべてのケースで絶対的な効果を発揮するものとは言えない。そこで、被害者に対しても心理治療に対する過剰な期待を抱かせてはいけない。やっかいだと思われるケースを、すべてこうした精神的な治療にまかせてしまって処理をするという発想は問題である。「少しは楽になるかもしれないので」ということで、本人のために心理治療を勧め、あくまで問題解決のためのサポートを続けていくことが必要である。
ただし、この場合でも決め手となるのは、実は最初に相談を受けた相談員の態度なのだということは忘れてはならない。被害者は相談員を頼っているわけであるから、安易に他のセクションへのたらい回しをすることは、その人に突き放されたような気持ちにさせてしまいかねないし、再び心理的に落ち込んでしまう可能性も出てくる。
相談者自身に手に負えないと思われることではあっても、匙を投げたような形にだけはしないようにする。心理治療の効果を高めることにもなるので、専門家に引き渡した時点で終わりと考えず、できる範囲でのサポートは惜しまないようにすることが重要である。
被害者との対応から、どのような心理状態にあり、どの程度の心理的、身体的な余裕があるかを、まず把握する。その上で問題の内容による緊急度を考えて医師と相談し、連携しながら対応を進めていくことになる。
(2) 緊急措置
以上のようなことを総合的に判断しながら、緊急的な措置や対応が必要かどうかを確かめる。被害が深刻な場合には、緊急に措置を講ずる必要がある。相談者が精神的にかなり不安定になっているような場合には、すぐに医療機関を紹介することも必要である。
また、早急に被害者と加害者を引き離す必要がある場合には、一時的に配置転換や自宅待機を可能とするなど迅速かつ柔軟に対応しなければならない。明らかに法的な措置(警察などの関係機関との相談)をとる必要があるようなケースについても速やかな判断が必要となる。
緊急措置については、会社側に要求して会社から選択肢を提供させ、被害者がそれを選択できるようにするといい。しかし、被害者の要望などこちら側で選択肢が用意できるのであれば、それを提示する方が早道となる。また、法的な対応などが不可欠な場合には、被害者に理解できるような説明をきちんとしておくことが必要となる。
@ 緊急措置が必要とされる場合
被害が深刻なもので刑事事件になると判断される場合
法的な問題ではないが、被害が極めて深刻な場合
被害者が被害を原因として、精神的に不安定となっている場合
加害行為が継続していたり、加害者から相談者に対して報復的な言動が予想される場合
当事者間の対立が深刻で、職場環境が悪化し、放置できない状態の場合
被害者が何らかの措置を求めている場合
A 緊急措置の例
問題を刑事事件として扱うかどうかの判断をする
被害者の被害をどのようにしたら救済できるのかを検討する
とりあえず、本人の精神的な安定のための措置を検討する
仕事や勤務場所を変えるなど当事者間の接触がないようにする。
問題解決処理が図られるまで、休みを取れるようにする(自宅で仕事を行えるようにする)
被害者の提案する措置について検討する

以上