橋本政治とは何か その矛盾と打開の可能性
現代史家  山田 敬男

何が起き、何が問題なのか 何が起きたのか

 昨年11月に大阪府知事選と市長選のダブル選挙が行われ、府知事に「維新の会」幹事長、市長に橋本氏が当選しました。最大の焦点であった大阪市長選は、「独裁か民主主義か」を争点として闘われました。
橋本氏のやり方に反対する市民がある一方、比較的多数の市民は、橋本氏の「大阪再生」に期待をかけたのも事実です。橋本氏は、持てる者(既得権益者)と持たざる者(現状改革者)との争い、というイメージを描きだし、マスメディアを利用して府民のなかにこのイメージを浸透させるのに成功しました。格差と貧困に苦しむ多くの府民は、持たざる者のヒーローとして橋本氏に期待したのでした。特に、雇用と生活に苦しみ、将来に絶望する青年たちの中には、何かを変えてくれそうな新しきリーダーとして橋本氏を支持する開口が強く表れたのです。
 橋本氏は、「大阪再生」を妨げる「敵」は議会、既成政党、公務員、労働組合であり、この強大な「敵」とたたかうには「独裁的手法」は必要であり、やむを得ないというイメージと図式をつくり上げ、それが一定の効果をつくりだしました。その結果、大阪府と大阪市の首長を橋本「維新の会」が独占するという異常な事態が生まれています。

橋本「維新の会」は何を狙っているか

 それでは、大阪府と市長を握った橋本「維新の会」は何をやろうとしているのでしょうか。

憲法違反の「思想調査」
 第一に、大阪市は職員の「思想調査」を行い、職員の人権を蹂躙し、恐怖支配を実現しようとしたことです。2月に始まった「職員アンケート」は、「市長の業務命令」であり、「正確な回答がなされない場合には処分の対象となるという極めて異常な調査でした。
 その内容は憲法違反の「思想調査」そのものです。具体的な質問項目には、「組合活動に参加したことがありますか」と、活動内容、誘った人、誘われた場所や時間まで聞いています。また、「特定の政治家を応援する活動(求めに応じて、知り合いの住所等を知らせたり、街頭演説を聞いたりする活動も含む)に参加したことがありますか」と「誘った人」「要請した人」「配布した人」の氏名まで回答を求めています。
 これは、憲法28条の労働組合活動の自由を侵害する不当労働行為に当たります。また、憲法19条で保障された思想及び良心の自由、第21条で保障される政治活動の自由を根本から侵害するものです。
 この暴挙に日弁連、大阪弁護士会などから即刻中止を求める声明や申し入れがなされ、大阪市教育委員会も教員を対象とする「思想調査」を実施しないことを決定します。
 その中で、この調査を推進した市特別顧問の弁護士は、開封・集計の「凍結」を表明せざるを得なくなります。さらに、大阪府労働委員会が、「調査続行を差し控えよ」と勧告を出したのです。橋本市長も、市議会でこの勧告に「従う」と明言せざるを得ませんでした。

教育への政治介入と職員への専制支配
 第2に、「維新の会」が「根幹」と位置付ける「教育条例」と「職員基本条例」制定を目指していることです。
 新自由主義的教育改革を推進するために教育への権力統制を強化しようとしているのです。3月の府議会で、「府教育行政基本条例」「職員基本条例」等が「維新の会」、公明、自民の賛成で可決されました。市議会は、橋本市長の狙い通りにならず、継続審議になっています。
 教育条例は、教育目標や教育内容、方法を知事がつくることになっています。また、教育委員の罷免権も知事に与えられています。
 教育に首長が全面的に介入し、権力者の思う通りにしようというのです。橋本氏は、「選挙で勝った者が教育の目標を決めてどこが悪い」と発言していますが、政治の教育への関わりがもっぱら教育環境の整備に限定され、教育内容には関与しない、という戦後教育の基本原則を理解しようとしない暴論です。また、橋本氏は、教育に強制はなじまないという批判に、「教育は2万%強制」と発言し、「教育=強制」という権力主義的な教育観を公然と明らかにしています。
 また、府立高校の統廃合や学区制の廃止を行うとしています。「維新の会」は、学校間の競争で教育がよくなると主張していますが、進学率や学力テストの平均点、中退率の数値目標などの競争で学校が評価されるようになり、教育の深刻な歪みが心配されます。
 「職員基本条例」は、「日の丸・君が代」での規律や斉唱など同一職務命令に三回違反すれば免職の対象とし、さらに、府の一般職員の人事評価を5段階相対評価で行い、2年連続最下位の職員は免職対象とすることになっています。職員への脅しと主張への絶対服従を求めるものとなっています。これは、公務員が「全体の奉仕者」であるという憲法15条の規定を根本から否定するものです。職員への専制支配と教育への無制限の政治介入を企んでいます。

大阪都構想と道州制の実現
 第3に、「統治機構の作り直し」と言って、大阪都構想と道州制の実現を目指しています。大阪都構想は、「大阪府と大阪市の二重行政の解消」と言って、大阪府と大阪市、堺市を解体し、10から12の特別自治区を作って、「大阪都」を新設するというものです。
 そして、その後に道州制を実現するというものです。
 橋本氏は、「ワン大阪から関西州をめざす」と述べ、大阪都構想は道州制の基盤整備に過ぎないと明確に述べています。この道州制派の実現は、大型開発を狙う関西財界の悲願ともいえるものです。
 橋本氏は、2010年初頭から大阪都構想を提起していますが、財界の要望に応えて「道州制が最終ゴール」と強調します。財界の大型開発計画に大阪都構想と道州制の実現は、ぴったり一致しているのです。

日米同盟のもとで九条改憲
 第4に、橋本「維新の会」が大阪を拠点に国政に乗り出し、日本の政治と社会を根本から変えようとしていることです。次の総選挙に備え、3月10日に「維新政治塾・レジュメ(維新八策)」発表し、24日には、議員候補生を養成するための維新政治塾の開校式が行われています。維新八策では、「自由貿易圏の拡大→TPP、FTA(自由貿易協定)と明記し、日本の国の在り方を変えるといわれるTPP参加等を容認しています。また、憲法に関して、橋本氏は、自身のツイッターで「九条は国際貢献とか、他人を助けるときに自分のいやなことはやらないという価値観。安全保障問題の根本は九条の価値観だ。」と九条を攻撃しています。さらに、憲法改正の要件を緩和するために第96条の改定を提起しています。改正発議要件を衆参各院の「三分の二以上」から「二分の一以上」の賛成への変更です。九条を変えるための明文改憲の提起です。
 また、日米関係に関しては、「日米同盟が基軸」を明記し、今の政府、財界と同じ方向です。日米同盟のもとで、憲法九条を変えて、海外で戦争ができる国にするという国家構想です。自民党や民主党などの「古い政治」と変わらないことがわかります。

橋本「維新の会」が抱える矛盾

 これまで述べた反民主主義的な独裁政治を橋本「維新の会」は、「独裁的手法」を使って強行しようとしていますが、大変な矛盾を抱えています。第一に、「再生」を叫んでいるにも関わらず、2007年からの橋本府政のもとで大阪の経済と府民の生活がよくなっていないことです。財政を見ると、高速道路、関西空港二期事業などの大型開発がほとんど継続され、その事業にかかる借金を今後30年間で返すことになっており、借金依存体質は変わっていません。大阪における家計消費の落ち込みは続き、事態は深刻です。また、完全失業率6.6%、非正規労働者比率44.5%(全国平均34.5%)であり、生活保護受給者率、高校生の就職率、就学援助受給率、犯罪発生率などが全国のトップ水準です。パフォーマンスで一時的に府民、市民の支持を得ても「橋本改革」のもとで肝心の暮らしがよくならなければ、府民、市民の心は急速に離れて行かざるを得なくなります。
 第二に、選挙に勝って自分が「民意」と言って「独裁的手法」を正当化しますが、府民の中には、それに反対する声も多くあります。この間の「思想調査」などによる橋本「維新の会」の独裁的体質に対する批判が広がっています。「反独裁」の広範な共同戦線の運動が極めて重要です。
 第三には、「憲法の壁」です。これまで見てきたように、「思想調査」、「教育基本条例」、「職員基本条例」などあらゆる「橋本改革」の強行にとって、憲法が大きな「壁」として立ちふさがっており、その壁を簡単には壊すことができません。「橋本改革」を強行すればするほど、憲法の危機として多くの市民が立ち上がらざるを得ないのです。

橋本現象の政治的意味

 それでは、こうした橋本現象の意味を整理してみましょう。

「右」からの現状打破
 第一に、橋本「維新の会」の運動は、今の政治の閉塞感を「右」から打破しようとするものに他なりません。
 2009年の政権交代後の民主党政権のあまりのだらしなさに国民の不満、失望が、それまでの自民党政権への批判とともに二大政党への不信を極めて強いものにしています。国民の中で政治的閉塞感と政党不信がこれまでになく広がっているといえます。国民は、今の現状を何とかしてほしい、根本から変えてほしい、という欲求を強めており、新しい政治の潮流と強いリーダーの登場を求めています。この国民の現状への不満が革新勢力と結合するのを防ぐために、単なる現状維持ではなく「右」からの現状打破の運動が必要になっているのです。橋本氏と「維新の会」の存在理由はここにあります。

下(地方)からの日本を反動的に再編 大阪方式の全国化
 第二に、地方自治体で、これまで国政ではやろうとしてもできなかった急進的は新自由主義的改革を強行し、その「実績」を掲げて国政に進出しようとしていることです。彼らは、大阪方式を国政に持ち込むと意気込んでいます。「大阪方式の徹底した究極の行財政改革」や「大阪方式の公務員制度改革」を国政で断行しようというのです。また、教育の面でも、大阪で実行しつつある新自由主義的「改革」と権力統制を一挙に国政でも実現しようというのです。そして、憲法九条も変えることをめざしています。まさに、下からの「運動」によって、日本の政治や社会をファッショ的な独裁政治に変えることをめざす極めて危険なものです。

橋本現象の社会的基盤
格差と貧困、人間関係のゆがみの問題

 第三に、橋本現象の意味を裏付ける社会的基盤の問題を考えてみなしょう。昨年11月のダブル選挙で大阪府民の最大の関心事は、「大阪再生」でした。府民は、橋本氏の「大阪を変える」という言葉に、「何かを変えてくれるだろう」という期待をかけたといえます。先ほども指摘したように、橋本氏は、持てる者(既得権益者)と持たざる者(現状改革者)とのたたかいと描き、持てる者が「改革」を妨げる「敵」であり、その実態は既成政党、教員を含む公務員、労働組合などとしたのです。こうしたイメージが府民に浸透する背景には、先ほど述べた大阪の経済の落ち込みと府民の中における格差と貧困の深刻な問題が存在していました。完全失業率、非正規労働者比率、生活保護受給率、高校生の就職率、就学援助受給率などが全国のトップ水準です。特に、青年たちの雇用と生活の苦しさは極めて深刻です。橋本氏や「維新の会」は、「大阪再生」という言葉で彼らの心をつかみ、持たざる者の味方としてイメージさせることに成功し、選挙で勝利したのです。
 また、こうしたイメージが浸透するもう一つの背景には、職場や地域などでの人間関係のゆがみの問題があります。この十数年の「構造改革」の中で、異常な競争原理の徹底によって、多くの市民が人間関係を分断され、ゆがめられ、社会的な孤立を余儀なくされています。その結果、物事を理性的に批判的に見るより、極めて感覚的にムード的に見る感性主義の傾向が生まれています。橋本氏らの政治的手法は、この国民の傾向を巧みに活用していると言わざるを得ません。

私たちに求められているもの


どのように闘うか
 それでは、こうした橋本問題にどのように対応したらよいでしょうか。第一に大事なことは、イメージ化、ポーズによって市民を誘導しているのですから、その欺瞞性を事実に基づいて暴き出す地道な努力を積み重ねることです。例えば、彼らは、自分たちが改革を求める持たざる者、組織も財力もない普通の人々とイメージさせています。しかし、彼らの主張の道州制、関西州の実現は関西財界の強い要望です。だからこそ、財界人は、「経済人・大阪維新の会」を発足(2010年4月)させ、橋本氏らを資金を含めて全面的に支援しています。「経済人・大阪維新の会」の会長に更家悠介(サラヤ社長)、顧問に平岡龍人(学校法人清風明育社理事長)が名を連ねていますが、どちらも関西経済同友会の幹部です。この財界人が昨年11月のダブル選挙で橋本氏らを全面的に支援したのです。持てる者の最大勢力である財界が橋本「維新の会」を全面的にバックアップしているのです。
 第二に重要なことは、経済や社会の真の再生の道を明らかにすることです。ダブル選挙の彼らの主張のキーワードが「大阪再生」であり、多くの府民が、青年たちがそれに期待したのです。大事なことは、彼らの「大阪再生」のいい加減さを批判しながら、どうしたら「再生」が可能になるかを積極的に明らかにする努力です。
 大阪は、労働者の町であり、商売人の町であり、中小企業家のでもあります。この庶民の労働や生活、経営を再生することが一番の要といえます。そのプログラムをわかりやすくイメージ化することが求められます。欺瞞性の暴露とともに、再生の真の道をわかりやすくみんなのもにすることが、極めて重要といえます。

深めるべき問題
 こうした橋本現象を国民的に克服する上で、今私たちに一層深く検討する課題が提起されていると思われます。それは、第一に民主主義に対する理解を深化させることです。橋本氏は、「決定できる民主主義」を強調しています。そして、多数決で決めるのが民主主義とも強調します。確かに今の国政をみると、様々な駆け引きや政治的な利害が渦巻き、いつまでたっても大事なことが決まらない政治の劣化現象が見られます。その問題を利用しながら、多数決による独裁を「決定できる民主主義」で正当化しているのです。彼らの言い分で抜け落ちている一番の問題は、決定されるプロセスにおける民主主義です。民主主義において大事なことは、少数意見を尊重しながら議論を積み重ね、その中でたとえ意見が違っても、相手の意見の中で、大切なことを取り入れて合意を形成することです。決定のプロセスや議論を大切にするとは、自分が多数であっても自分の意見を議論の中で修正=発展させながら、合意を図ることにあります。その意味で民主主義は時間がかかるのですが、こうした実質を伴って決定されるならば、多数決が本当に生きたものになるはずです。今民主主義とは何かが問われています。
 第二に、人間の生き方や人間社会の在り方などを根本的に議論することです。新自由主義的改革によって、人間の生き方にとって本質的で大事な問題が、効率性と商品価値という視点から安易に議論されがちです。特に、昨年3.11の東日本大震災と福島原発事故を契機に人間の生き方と社会の在り方が根本から問われるようになり、日本社会の再生にとって、「生きる・働く・つながる」ということをもう一度深いところから議論しなければならなくなっています。橋本氏は、競争が人間にとって一番大切といいますが、人間を分断し、「自己責任」を押し付ける競争でなく、一人ひとりが人間として特別な存在であり、「オンリーワン」であることを出発点にして社会の在り方を議論することが重要になっていると思われます。生きている一人ひとりがかけがえのない特別の存在であるということを議論することが橋本的な新自由主義的な社会「改革」を乗り越える確実な道だと思われます。